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ニート、東北へ行く ~東日本大震災ボランティア記④ ~十五~

以下の文章は3度のボランティア体験について2011年5月~12月にかけて当時書いたものです。

十五・お話を聴く1

 いろいろな御宅にお邪魔して作業させていただいた。そして、住まわれている方々にお話を聴かせていただいた。

 「こっちの竹藪は茶色、向こう岸の竹藪は緑色、そう、この運河まで津波が来たんだよ。」ご夫婦はそんなことをおっしゃっていた。そう、茶色い竹藪は塩水を被った証拠。この運河が境目ってこと。これより南は津波の被害を受けて、これより北は無事だってこと。その境目に住んで被災に遭われたご夫婦の話を僕らは聴かせていただいたんだ。
 家の玄関前には別の御宅から流されてきた、巨大なビニールハウスや重機の残骸。畑には重機が取り除くまで何十台もの車が流されてきていたという。そして、何人もの遺体も・・・。

 津波当時の話を聴く。ご夫婦は余裕を持って避難できたこと。逃げる方向がわからなくて、間違って逃げて亡くなられた方がいること。屋根の上に避難したけど、低温で救出される前に亡くなった方が多かったこと。おじいちゃんの助けてーが聴こえる中、子ども連れて逃げるしかなかった女性の話。
 避難後の大変さ。食べるものも着るものもない生活が続いて、「津波にのみこまれて死んだ方がよかったんじゃないかっ。」って思ってしまったということばに、ただうなずいていた。

 このご夫婦はまだ一度も炊き出しを受けたことがなかった。どこでやってるかさえ知らされてなかった。メンバーの一人がLLさんに聞いて、炊き出しの場所を教えてもらった。実はLLさんもクリーン担当だから知らないのだ。ADさんに行って、それからデリバリー(炊き出し)担当の方に連絡が行って・・・なんて感じなのかな。各部隊が孤立しすぎじゃないか?って思ったり。

 それはいいとして、ご夫婦に炊き出しの場所をおしらせ。昼休みを終えて帰ってくると、奥さんが満面の笑みで、「野菜スープがほんとうに美味しかった!!」って「ご飯、大盛り自由だったから、この人は大盛りにしてもらって。」って。「ガスコンロや梅干しももらえた!」って。
 どうしてこんな、いい、今回は俺の感想は最小限だ。

 このご夫婦は僕らにスポーツドリンクやアイスの差し入れをしてくださった。自分たちが大変なのに、この家にはもう住めないのに・・・。優しく言ってくれるんだ。水道を貸してくださりながら、「手はちゃーんと洗って。ばい菌が入ったら大変。」って。そして丁寧に「ご苦労様でした。」って。僕らよりもっと苦労されているのに、それでも・・・。

 一日かかってもまだまだ終わらなかった。そして翌日、スリランカ・チームが投入され、きれいにしていったそうだ。グラシアス!

 そう運河の話でだんなさんから川村孫兵衛の話が!知ってるでしょう?伊達政宗の家臣で、治水工事で宮城を有数の米どころにした川村重吉を!少しだけ歴史トーク。そんなのだっていい。
 そういえば、夏に花火大会があるって教えていただいた。行きたい。ただ、そう思った。(追記:2013年8月川開き祭りのお手伝いをし、念願の花火も見れました。)

川開き

 俺たちは今回の被災の一片を垣間見ただけ。住民の方たちの元気とか優しさに、他の日本人はおんぶにだっこされてるだけだ。ものすごく辛いこと、話せないほど辛いこと、きっとある。そのなかでも、俺たちを受け入れ、話をしてくださる。

 ADさんに言われたことがある。より多くの泥をかくことよりも、住民の方々のお話を聴くことの方が大事だ。ということを。そしてそれを僕は誰かに伝えていこう。より多くの人がこの地に訪れるように。

ってそのためのこの長たらしい記だろう?

十六・お話を聴く2

 出会いはまだあるんだ。


 「よろしくお願いします。」お母さんはこれ以上ないほど深々とお辞儀をした、僕らに向かって。恐縮した。僕らはってか俺はそんなことをしていただいていいのか?!
 「まずあの場所をきれいにしたい。」お母さんはそんなことを言った。なぜなら、その場所で家族が亡くなられたからだ。花が手向けてあった。僕らは黙とうをして、ガレキが山積みになっていたその場所で作業をはじめた。
 現実とか思いとか、いろんなものが僕らの胸をつくんだ。その場所はメンバーの奮闘もあってその日のうちにきれいになったんだ。

 その日訪れた御宅の奥さんはこんなことを言った。「もしも、あのとき家にいたら、一階でのんびりしてたかも。」って。そう津波がこの辺まで来るなんて思いもよらなかったと。地震が終わったからもう大丈夫だと。仕事先から帰る途中、家に向かう道が通行止めになっているのを見て、はじめて実感されたという。
「死者、行方不明者が石巻で多いのは、誰も津波が来るなんて思ってなかったから・・・。津波被害が大きくても対策が取られていた地域は・・・」どうして?奥さんが申し訳なさそうにいるのさ?そう思ったけど僕はただ何も言えなかった。
 そう、その御宅の畑でガレキを撤去しているとき、この地域の地震対策マニュアルを落ちていた。泥にまみれておらず、中身が読めた。液状化の対策は書かれてあったけど、津波対策はまったく書いてなかった。ここまで津波が来るなんて想定外だってことだ。

 いろんなものが落ちている。泥にまみれ埋まっている。そこに生活があったと、胸に染みいる。それがAVやバイブであったとしてもだ。その所有者が今は亡くなられているかもしれない。
 ネコの死骸を見つけてしまった。丁重に葬りたいところだが、それも出来ず、二人して袋に回収。処分していただく。「人が埋まっててもおかしくない・・・。」もう2カ月ちょっとが過ぎた。それでも・・・。

 貴重だと思うもの、袋に入れてピースボートに預ける。持ち主は見つかるだろうか?サッカー大会の写真、連ドラはもうやめようって日記、デジカメ(メモリーカードが無事なことを祈り)・・・そう、人が生きた証がここにあるんだ。もしかしたらこれしか残ってないもんだってあるかもしれないんだ。
ねぇ、僕らなんて、と、なんにも残してないって思うけど、実は残してんだ。そう思う。

 最後にとてつもないキレイごとを書きます。正直に思ったことだから。
 石巻の夜空はとてつもなく綺麗だった。俺のよく見えない眼鏡でもよくわかるくらい。コンタクト付けて見たなら、どんなに綺麗だろう?・・・亡くなった人は星になるって話を信じてみてもいいじゃないかって思ったんだ。


天使たちのシーン:小沢健二
 いけないね、どうしても胸が苦しくてしかたないときは、天使たちのシーンに逃げてしまう。気が付けば1年前の昨日(6月4日)、俺は小沢氏のコンサートに行っていたんだ。思い出せ、あの力強い天使たちのシーンを。強く強く。

十七・某企業の人々

 ボランティアのしているのは個人やボランティア団体だけではない。企業も人を送っている。そのなかで、一緒に作業をしたある企業の方々の話を今日はしようと思う。

 普通、企業さんってのは何十人って団体で来ている。朝バスでカスカにやって来て、作業道具借りたり、食事休憩の場所として使用したりしている。ときどき、そのおこぼれを頂いたりする。
 我々と一緒に作業した企業さんのメンバー数は4人。少ないなって思ったけど、これにも理由があった・・・。

 その日は、我々のチームと、インターナショナル・チーム、それに企業さんの合同である御宅の庭のガレキ撤去、泥かきを行ったんだ。
 企業さんも半分の2人はインターナショナルだ。国際色豊かなチームだぜ。ってか大体の人英語喋れるよね?うちのチームでも海外で仕事されてる方もいるし・・・。
 しかも途中で庭と裏庭、二手に別れて作業。名前だけリーダーの私は、企業さんチームと、インターナショナルから1人の6人で裏庭を作業。まさかの、「どうしたらいいか。」って聞かれたとき、答える役!!

 さっそく聞かれる。「写真を撮っても大丈夫か?」と英語で。「プレゼンで使いたいから。」と、日本語訳で。「O.K!」と俺は答える。「主に、休憩中でお願いね。」付け加えるこんな日本人・・・。
 うん?、プレゼン?ってなんでするの?聞けば、だ。彼らは同じ企業に勤めてはいるけれど、今回のは企業による派遣ではないらしい。
 「人を集めて東北に行きたい。」と上に直訴したのだけど、許可が下りなかったのだという。ならば、有志4人で個人的に行ってしまおう、と。そして、その体験を社内でプレゼンして、上に復興支援を認めさせたい、と。そして迷ってる人達をも巻き込めればいい、と。
 そう、だから人数が少なかったんだ。そして、許可が下りないから、諦めるんじゃなく、個人的に行くだけでなく、それをまた繋げようとする考えに、僕はただ感心したんだ。すげーって思ったんだ。

 そんな方々だ。「こうしてこう。」って方向性を示すと、「こうした方がいいんじゃない?」ってもっと素晴らしい方法を思い付いている。さすがだぜ。

 会話がほんとーに英語だー。俺だけあとで訳してもらう始末。おい、アメリカ行ったんだろ?俺?語学研修の名目で!!
ええぃ!こうなったら!俺のヤッケは二日目にして股が裂けていた。ガムテ補強したんだけど、しっかりびっしり張ったらまわしみたいになっていた。
「SUMO!!」
そのことばに応え、完璧な?不知火型の土俵入りを見せる俺。そして、彼は気づく。股のガムテに文字が書かれていることを。“○○(俺のあだ名)Jr.”と。
 「Oh!」
ナイス・リアクションありがとう。そしてありがとうMy.Jr.。このわかりやすい下ネタは全世界共通だ!!

 って何書いてんだ、俺は。無事作業は終わり、裏庭もきれいにできた。

 そう、こうやって、日々新しい人と出会っては、何か感じていく。いろんな人に出会った。お話を聴くのは、住民の方だけじゃない。今回のように俺が出会うはずもない企業さんの思いだって聴けるんだ。それが、ボランティアの一つの醍醐味かもしれない。今回来てる方々だっていろんな人がいるだろう。人見知りだけど、ちょっとしたタイミングで会話に何気に加わってみた。なんかそれでいい気がした。

糸:Bank Band




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