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【社会の荒波に揉まれ洗脳された話⑤趣味を捨ててまで信仰するべきか】



【端書】

久しぶりの社会の荒波シリーズです。
前回は4月の投稿。わたしの魔境をみて考えた事を絡めて書いてました。 
前回の記事⇩⇩⇩⇩⇩

ぶっちゃけ、入信して自力で脱会したのは覚えているのですが、本当に断片的な記憶すぎて記事にするのを悩んでますw
当時使っていたガラケーを復活させて、メールの履歴などを辿ったりしてましたが、なかなかw
さて、今回は宗教ライフの中で抱いていた疑念を本に書いてみようと思います。








【人に隠れて続けた顕正会】

定期的に新聞を貰い、集会へ参加。班の人たちと新聞を読み合い、交流し時には顕正会の大きな会館まで信者の車に同乗し、集会に参加したこともあったのでした。
朝晩の勤行は自室にて隠れて、数珠を手に富士山に向かって南無妙法蓮華経を唱えていました。それはそれは信心深く、、、。
それを唱えれば、救われると考えていたのでしょう。そんな訳は全くないのに。

親や友人にはもちろん隠れてやっていました。
少しだけ、後ろめたさを感じていたのかもしれません。
それも、オウム真理教の事件当初幼かったですが、支部が当時住んでいた地域の近くにあったのもあってそのイメージを抱いていたのかもしれないです。それでも、その頃は変わりたい。悩みや苦しみから抜け出したい。という気持ちが勝ったのでしょう。

同じ班だった信者に人も妙に優しく、寛容で暖かい気持ちに包まれた気がしたのもあると思います。当時まだまだ駆け出しの信者でしたので、誰かを勧誘したり街頭での活動を他の信者さんと実施するまでには至りませんでした。集会に参加していましたが、ぶっちゃけよくわからん。眠いでおわりました。
「体験報告」という信者さんの功徳体験をみんなの前で発表する場があります。家族がそれはとてもおだやかな臨終を迎えたとか、大病が治ったなど、アンビリバボーなご利益があったというそうな、、。
また、勧誘や入信を拒むものは厄災に見舞われ、不幸になったり、高校生の信者が学校での折伏(しゃくぶく)を校長先生から、反対され罰則を受けたが折伏行為に反発した校長先生が不幸にも亡くなったという話が合った。
それは、日蓮大聖人様に背いた報いと言っていたのを見たことがあります。
いやいや、、、。政教分離って言葉があるでしょう。「政治と宗教を分ける」考え方です。
これはのちに詳しく話しますが、学校や職場で一定の宗教を強制してはいけないのです。思えば、私を勧誘した先輩も政教分離を、、、、。

なんだかよくわからないけど、お題目を唱えれば救われる。ありがたい浅井先生のお話は分からないけど、救われる気がした。
人目に隠れて勤行に励んでいました。体験報告は正直響きませんでしたが、何か安心できる場所が顕正会会館だった当時。
芙蓉茶寮での歓談。ここの総菜が無駄に旨かったのもあるかもしれません(笑






【趣味を捨ててまで貫くべきか】

日蓮宗という法華経の一種を信仰し、勤行に集会、、。
なんとなく同士もできて少し楽しさを感じていた半面、Facebookを好きなアーティストの画像にしていた当時、先輩からこんなメールが来ました。

神田さん、Facebookのプロフィール画像、キリスト教?
多宗教に関連するものはだめだよ。
申し訳ないけど、変えられるかな??

※当時来たメールを記憶の限り再現

こんな感じだった気がする。
それは童話をオマージュしたコンセプトアルバムのジャケット。
教会のような建物の前で、登場するキャラクターが立ち並んでいる物だったのです。ゴシック的な感じの物でした。
もともと西洋画やゴシック系の物が好きな私にしてみれば、趣味を捨てなければならない。ということになります。

そこまでしてやりたいか。
そこまでして進行するべきか。
この先もずっと人に隠れて続けることに意味があるのか、、、。
というか、勤行していて何かいいことあったか。
色々考えるようになりました。

しかし職場の先輩からの勧誘からの入信。脱会して何か影響がないか心配だった。でも、趣味ができないのは悲しい、、、。
そして、思った。

続けるのがダルイ!!人目に隠れて勤行する人生は嫌だ。

そ う だ、脱 会 し よ う。

決心がついたのでした。
そのままバックレればいい物を、ご丁寧に先輩と同班のマダムに脱会の旨を伝えることを決めて、話す機会を貰うのでした。






【あとがき】

次回は脱会戦線の話。難しいですね。
顕彰会は国立戒壇といって、当宗教を国教とせんとし、教祖の浅井氏が予言した他国からの侵略、国難、災害から逃れるのはお題目を唱えることとしていて、勧誘することが正義みたいなところがあります。

それが絶対正義!!となっている人は、金棒でケツをぶん殴っても動きません。本当にガチ信者は凄いです。ある意味関心しました。
何がどうしてその人たちが情熱を注げるのか。
時折街中で、顕彰会会員が新聞を広げ、日蓮の教えや浅井氏の言葉を読み上げているのをみかけます。
ああ、懐かしいと思うばかり。NOTE用に信者の話を聞いてみるかと思うこともありますが、捕まるとマジで長いので悩みます。
本当に自分らの理念だけマシンガンの如く話し、一方的過ぎて怖い(笑)

たまにYouTubeで勧誘されてみた。とかやってる人いますが、冷やかしで近づかないほうがいいです。逃げきれる自信があるなら、何も言いませんが
本当にお勧めしません。

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