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AIの進化と能力格差の崩壊、そして本当の自分を生きる時代に

これまで、人間は知識や能力、技術を競い、その優劣が社会的な価値、社会的地位を決定してきました。しかし、AIの進化はその常識を覆す可能性を秘めていると思います。一部の人々がAIの活用によって一時的には大きな成功を収める一方で、AIの普及と発展により、誰もがAIを活用できる時代になってきています。それによって私は人間同士の能力格差が意味をなさなくなる時代になるのではないかと思うようになりました。

私たちは今、その転換期に立たされています。今回はAIの進化がもたらす人間の立場の変化、仕事の変化、そしてその中で私たちがどのように自己を見つめ直し、新たな価値観を築くかについて考察してみたいと思います。

AIの進化と人間の能力

ChatGPTの登場により、AIの進化の凄まじさに私たちは直面しています。我々人間はAIに記憶力や計算力、論理的思考などで及ばない事がリアルな体感として感じるようになってきました。これまでシンギュラリティはもうちょっと先であると考えられていましたが、私の中ではもうシンギュラリティはある部分でほぼ到達したと捉えています。

そうなるとこれまで人間同士が、頭の良さや実務的な能力の高さで優越がつけられていた世界観が完全に崩壊するのではないかと思っています。つまり能力の差を他人と比較することが意味をなさなくなる可能性があるという事です。

能力格差の広がりと、その先の格差の無効化

もちろん現在はAIの進化が十分でないところはありますが、近年の飛躍を考えると、まもなく人間の頭脳的な能力を遥かに凌駕するレベルになってきます。今は発展途上中であり現時点で能力の高い人が上手くAIを使いこなしてより生産性を高められるので、人間同士の能力の差が一時的に開いて社会的格差も広がる可能性はあると思います。そしてAIによって仕事が奪われてしまうように見える事も確かに出てくると思います。しかしそれは私は一時的な事だと考えています。AIがもっと汎用性の高いものになり、誰でもメールやLINEを使うかの如く当たり前のようにあらゆる領域で使えるようになると、能力の格差がもはや意味がなくなり、人間同士での能力の差を比べることに意味がなくなってくるのではないかと思っています。東大王などのクイズでいくら活躍できるぐらいの膨大な知識や計算力を持っていても誰しもAIの能力には勝てないので、その能力が特別なものではなくなるからです。現状多くの人々の無意識の中で優劣の差を感じてしまっているのは、私たちが能力や社会的地位や経済力などを物差しにして人を評価しているからだと思います。しかし、AIと人間との間の能力の差が人間同士の能力の差より圧倒的に大きくなると、人間同士の能力の差を比較することに意味がなくなり、能力格差が無効化される可能性があるのではないかと思います。その結果、能力の格差で就職や仕事の内容、収入が規定されていた世界観が壊れるのではないかと思っています。もはやそういった知識や記憶力や計算力、論理的思考などを高める方向で努力してきた事が意味をなさなくなり、我々人間はそこへのこだわりを手放す事になる事が想像されます。

人間にしかない価値

そうなると、最終的に人間にとっての価値は何になるかというと感情や経験、体験そのものということなると思っています。それは唯一無二でユニークで尊いもの。

この先の私たちは、これまで社会に合わせて、仕事をするために能力を高めてきた時間から解放されて、どんな経験や体験をしたか、どんな感情を感じているかという事こそが最も尊いという事が体感として多くの人が感じるようになってくるのではないかと思います。そうなると人生の多くの時間に、自分は本当は何がしたいのか、この人生で何を表現していきたいのか、自分は何が好きで何が嫌いなのか、どんな事にワクワクをして、どんな生き方をしたいのかというような事に集中するようになってきます。つまり本当の自分を生きる事にみんなが一生懸命になれる時代になるのではないかと思います。その延長線上に他の人にとっても役に立つ、やり甲斐のある「仕事」に繋がるのではないかと思っています。

AIによって仮に仕事が奪われる事になったとしても、奪われるような仕事は恐らくその仕事に就いていた人にとっても本来自分の内側から湧き出る本当の自分がやりたい、もしくは表現したい仕事ではない場合が多いのだろうと思います。仮に本気でそれが好きな仕事なのだとしたらAIが代わりに出来るとしても、その人はそれを生きがいを持ってやり続ければ良いのだと思います。アートがAIにも生成できるようになったからといって、芸術家は表現するのを止める必要はなく、表現することそのものが生き甲斐であるからです。しかし、実際には多くの仕事は本来やりたくはないけど仕方なく生きていくためにやっている仕事であることが多いと感じています。「仕事は楽しいですか?」と人に聞くと苦笑いされ、「えっ?楽しくはないけど」みたいな反応が返ってくる事が多いのが現状です。

私は正直全ての人が働く必要はないと思っています。自己表現ややりがいにたまたま仕事という名前をつけられているだけで、本来みんなやりたくないことはやらなくていいと思っています。やりたい事だけをできる社会であるべきだと思っています。やりたくないけど必要な多くのことをAIやロボットに任す事ができるようになった時代の話ですが。。それが実現できるまでの移行期にはベーシックインカムは一つの有効な対策だと思っています。

おそらく移行期であるこれから数年間は社会的なシステムが上のような理想を実現できる体制になっていないので、全ての人が価値観や生き方をすぐに変えることは難しい事だと思います。私はこの段階になって初めてリアルにベイシックインカムの議論をしてもいいのではないかと思っています。もうそろそろ私たちはお金がない事によって飢えて死ぬという潜在意識に埋め込まれた恐怖から完全に自由になるべきだと思います。

自己探究と表現: 本当の自分を生きる時代

これからより本質的な問いが人々の心を動かすでしょう。「本当に何がしたいのか」「人生で何を表現したいのか」「自分は何が好きで、何が嫌いなのか」「どんな生き方が自分にとって一番なのか」。そうした問いへの答えをそれぞれが探求する時代が到来することは間違いないと思います。そしてAIなどの技術によってやりたくない仕事から解放されて自由に生きることができるようになるのではないかと期待しています。

私は基本的にいつも楽観的で、大局的にはポジティブな未来を見つめています。AIの進化は人間の能力格差を無効化し、個々の人間が真に価値を見いだすものへと目を向けるきっかけを作ってくれると信じています。

AIの進化とともに人間の価値観は大きく変わるかもしれません。しかし、その変化を恐れるよりも、その変化が私たちにどのような新たな視点をもたらすかを楽しみにしたいと私は思います。AIによって私たちが自分自身を理解し、真の自己を生きるための時間と空間が広がるのが、これからの時代ではないでしょうか。

最後までお読みくださいまして、誠にありがとうございます。

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