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わたしたちは幸福になるために、自分以外の人がどういう振る舞い方をするべきで、自分以外の人がどうにかする必要があると思っています。

人を変えること、周り環境を変えることにエネルギーを注いでしまいます。

しかし、それでは自分の力や幸福を他人に明け渡して、任せてしまうようなもので、自分がもっている本来の力を失ってしまいます。他人に自分の幸福が決定されてるということを認めてしまうことになります。

しかし、本来そうではないと思います。

幸福が他人の都合や周りの環境によって影響を受けるほど、わたしたち本来の力は弱いものではないのです。

どんな時にもどんな状況でも、自分はどんな選択もできます
選択の自由があるのです。

どんなに批判的な事を誰かが言ってきて落ち込みそうになったとしても、それを言ったのは相手の解釈からであり、相手の選択です。それ自体は自分のコントロールの及ばないところです。

しかし、それに対しての反応と解釈と行動は自分の選択です。相手にどんなに悪意があったとしても、それが相手の問題と思えば、助言してくれてありがとうとシンプルに受け流すことも出来るでしょう。(それが難しい!?ですが。。w)

真実とは、古代ギリシャの哲学者エピクテトスの言葉にあるように、「わたしたちの心を乱すのは、現実に起きていることではなく、起きていることに対する自分自身の考えである。」です。

起きている物事は、それ自体、本質的な意味はなく、ニュートラルです。それに対して自分が与える意味や解釈があるだけです。

何かが起きたまさにその瞬間は反射的な反応が起き、自分の観念によって瞬間的に感情が発生します。

しかし、本来感情は一時的なもので、その感情を持続させるものは、それに対する思考です。感情は瞬間的なものなのですが、それを思考が同じ解釈をし続けることによってその感情を何回も何回も連続して再生(リピート)させているのです。「アイツが悪い、最低だ、あんな事を言うなんて人として間違っている」などと、何度も何度も何度も頭の中でリピートされ、それと連動してネガティブな感情が再生されます。

しかし、実は出来事が起こった次の瞬間には、それに対してどう解釈し直して、どう反応するかは選択の自由があります

最も有名な心理療法の一つに、認知行動療法というのがあります。

認知行動療法では、せりふのような形で出てくる瞬間的な考えや映像のようにパッと出てくる瞬間的なイメージを自動思考(automatic thought)と言います。

自動思考自体は出来事が起こった瞬間に湧き上がってくることなので、自分でコントロールすることが難しいです。しかし、自動思考が起こったあとで、どう考えるかという次の認知は自然に任せることもできれば、自分で考え出すこともできるという考えのもと、自動思考に気づいて、そして次の思考と行動を自分で選択していくということを積み重ねていく。そして自動思考の背景にある、観念や思い込みに気づいていくというのが認知行動療法の簡単な説明です。

認知行動療法の構造

それは非常にリーズナブルな方法であると思います。認知行動療法を型通りに行う必要はないとわたしは考えていますが、どんな方にも実生活で役立つスキルではあると思います。

わたしたちは起こった出来事にただ反応することだけで生きることも出来ます。

しかし、わたしたちは自分の反応に気づいて、次の選択を自由にする力も持っています。そのパワーはただ反応して自分の感情や幸せを他人や環境に影響させるよりも遥かに強いものです。

大事なのはそう反応している自分にただ気づくこと。気づいて、「ダメだ」とか「弱い」とかとジャッジして裁くことなく、そう感じている自分を誤魔化したり否定したりしないこと。ただそう感じていることを認めてあげることです。

自分で選択することは、自分の幸せの権限を他人や環境に明け渡すのではなく、全ての権限を自分に与えてあげることになります。

選択する力は何にでもなれる、どんな事も叶える魔法の力なのです。

最後までお読みくださいまして、誠にありがとうございます。

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