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ワンダー・オーヴァー・レインボウ

店はいつか無くなるし
人もいつか亡くなる

今では絶滅危惧種と言っても過言ではない「ゲーセン」

都市部にはまだ大型店舗が残っているものの、1階エントランスにはクレーンゲームとプリクラが並び、ビデオゲームは上の階。いまやゲーセンのメインストリームは格闘ゲームでも音ゲーでもなく、クレーンゲームとプリクラになってしまった。

青春なんて呼べる時代が私にあったかは怪しいが、ゲーセンという場所には青春にニアリーイコールの何かがあったと今では思う。

塾に通うようになった中学時代、塾帰りにゲーセンに寄ってストIIの順番待ち。その頃はストIIブームで、都心部ならずともゲーセンは人でごった返していた。今では想像しにくいかも知れないがゲーセンは人混みのなか「並んで遊ぶ場所」だった。

もちろん、夢の国ほどではないのだけれども。

高校時代、私のホームはもっぱら武蔵境の小さなゲーセン「Jack & Betty」だった。クレーンゲームは無い、プリクラも無い。アストロ筐体が20台ほどの小さなゲーセン。なぜそこに流れ着いたのか正確には憶えていないが、たまに行く三鷹周辺のゲーセンは素行の悪い輩が多く、格ゲーで勝つとバタフライナイフをカチャカチャと出し入れする男たちに囲まれる無法地帯であった。それに耐えかねて、1駅隣まで足を伸ばしたのがキッカケだったと思う。学校帰りとはいえ、家とは逆方向にあるため、お世辞にも近い場所とは言えなかったが居心地がよく、バイトの無い日はほぼ毎日通っていた。

その店の常連は、一癖も二癖もある人達ばかりだったが、みな良い人たちだった。SNSなんて無い時代、店のカウンターには「ゲーセンノート」が置かれていて、みんな好きなことをそこに書いていた。Jack & Bettyのノートは大体アニメの話で、当時ヒットしていたセーラームーンの話題や、変身シーンのバンクのコンテのような絵も描かれていた。みんな間違いなくゲーマーだが、それ以上にアニメ好きが多かったと記憶している。ゲーセンノートを読むうちに、誰がどんな人物か見えてきて、いつしか会話が生まれ、そして顔見知りになっていく。

彼らが友達だったのかは分からない。

ダンジョンズ&ドラゴンズに誰か座れば、「入っていいですか?」なんて会話もなく、手の空いている者が作戦会議よろしく、使用キャラと立ち回りの話をしながら筐体の前に座る。ストリートファイターZERO2に常連が座れば、遠慮なく連コインする(もちろん他にお客さんが居たら譲る)。クイズ三国志が始まれば、自然と筐体の周りに常連チームが出来る。ゲーム天国のスコアアタックは日課だ、その日の1位を塗り替えたら元タイトルホルダーに自慢気に教えに行き、ボーナスの取り方を伝え合う。そんな日常だった。

私は最年少だったので、よく奢ってもらったし、常連のS氏が務めていた会社のイベントの手伝いや、トレーディングカードの制作をするバイトにアテンドされたりもした。家に泊めて貰ったりもしたし、恐らく家族より長い時間一緒に過ごした人たちが何人かいるだろう。しかし、彼らが友達だったのかは分からない。今はもう、誰ともつながっていないからだ。

社会人になると、ホームグラウンドが変わった。端的に言えば「Jack & Betty」は無くなったのだ。ずっと続くと思っていたゲーセンは、あっけなく倒れた。暫くは近くのジュピターという大きなゲーセンに皆流れたが、ジュピターは言うなれば「普通のゲーセン」。クレーンゲームもあればプリクラもある。「小奇麗」などではなく、圧倒的に「綺麗」。小汚くもアットホーム感のあったJack & Bettyとは対極の店で、すぐに誰も来なくなった。

それから2年ほど色々なゲーセンを転々として、辿り着いたのが「新宿スポーツランド中央口店」。新宿スポーツランドは靖国通り沿いに本館、西口に西口店(現:クラブセガ新宿西口店)もあり、かに道楽の看板前に店舗を構えていた中央口店は「蟹スポ」という愛称で呼ばれていた。

蟹スポに通うようになったキッカケは、「ギルティギアゼクスの定例大会を開催させて欲しい」という依頼をしたことからだった。店舗サイトにあったメールアドレスを使ってアポを取り、大会の企画書を持って担当者に会いに行った。当時、店員やオーナーによるゲーム大会はあったものの、プレイヤー持ち込みの大会というものは無かった(私が見る限りではあるが)ため、企画書なんて大仰なものを用意して向かうことにしたのだ。

当時、ギルティギアゼクスの大手サイトを運営していたので多少の期待はあったが、それでも拍子抜けするほどアッサリ企画は通った。その時の担当のUさんとは以降、10年以上付き合いが続く。

蟹スポで出会った人たちは、今でこそあまり交流はないものの、Jack & Betty時代より更に濃い時間を共に過ごした。

公式が大会を開催したりし始めたのもこの頃で、仲間内で大会に遠征したり、地方勢が東京に遠征してきたり。小さなゲーセンという箱の中の交流はインターネットを介して全国に広がり、そして、その広がりはまた小さなゲーセンに収束する。伸縮を繰り返し濃くなるコミュニティ。当時より今の方が容易に出来そうな気もするが、あの時代の「コミュニティの濃さ」は中々表現しにくいし、再現も難しいと感じる。

色々なヤツが居たが、その中で、1人若い大学生が居た。いや、会った頃は高校生だったろうか?器量も良いしスタイルも良いし服装も可愛い。ただ、声が少し太くて、いわゆる腐女子でゲーマーだった。

人をまとめるのが得意というわけではなかったが、責任感は強く、女性限定の大会を任せたりしていた。そんなに仲がよいというわけでもないが(ゲーセン以外で会うことはほぼなかったので)大会の連絡事項もあり、ちょっとした愚痴を聞いたり、就活状況を聞いたりと、結構マメに連絡は取っていたと思う。

そんな彼女が、ある日
亡くなったと連絡があった。
自殺だった。

彼女が命を絶つ前日、ちょっとキツ目のことを言ってしまったため、今でも後悔が拭えない。もちろん、その言葉がキッカケで亡くなったのではないとは思う。彼女の中で私の存在も、言葉も、矮小なものだろう。ただ、その時、彼女の心を軽くする言葉を何か贈ることができたら……結果が違っていたのではないかと、どうしても考えてしまう。蟹スポのことを思い出すと、そんな彼女と出会ったことも思い出す。

そんな蟹スポは2007年7月30日に閉館となっていた。

その頃にはもう、私は大会を行っておらず、行く頻度は月にほんの数回ほどになっていた。それでも、最終日には常連が何人か集まって、閉店後、フロアに座り込んで酒盛りをした。

改装も行われるとのことで、塗りなおされるであろう白壁に(といっても煙草の煙で黄ばんでいたが)その場にいた皆で思い出を書き込む。

まあ、色々あったけど、楽しかったよな

店はいつか無くなる
人もいつか亡くなる

ゲーセンという小さな世界で、私は色々な経験をした。
それは時に楽しく、辛く、嬉しく……そして寂しい。

素晴らしい出会いもあり、別れもある。0が1となり、1が0ともなる。
アナログとデジタルが交錯する不思議な空間。それが私にとっての「ゲーセン」だった。

ワンダー・オーヴァー・レインボウ

長々と私の中の「ゲーセン」を書いてしまいましたが、なぜこのようなものを書いたかといえば……

劇団GAIA_Crewの「ワンダー・オーヴァー・レインボウ」という作品には、今まで書いたことがそのまま詰まっていたからです。

れいんぼー

もうね、ビックリするくらい。今まで書いた私の半生的なものがネタバレになるんじゃないか?ってくらい追体験のようなコンテンツになっていました。

劇場公演は終わってしまいましたが、興味のある方は、4月1日よりオンライン公演(オンライン用に効果やカメラワークなど編集されたバージョン)が公開になるということですので、ぜひ、ご覧ください。


私は若い頃、ゲーセンという空間に触れたことでボードゲームカフェを作ったと言っても過言ではありません。

コミュニティが作りたかった
人と人とが顔を突き合わせて生まれる化学反応を見たかった
彼女の眠る東中野に店を構えたかった

ゲーセンならずとも、みなさんの原点を思い起こさせてくれる作品であれば良いなと思います。

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