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「君を幸せにする」というセリフの空虚さに想いを馳せる

5月の連休が終わるまで外に出る仕事も用事もまったくなくなった。小説を書くのにうってつけの日々。幸いなことに長編の企画を3つ抱えているので、2カ月だって3カ月だってこもれるわけですが、大きな問題がありまして、外に出ないとすくすく太るのです。

ああ、演劇の稽古をしていた去年は忙しくて昼ご飯を飛ばしたり、疲れすぎて夜ご飯が入らなかったりしていて、何も無理することなく、ちょうどよくやせていたのに。

家に引きこもって遊んでるだけならいいのだけど、執筆をしているとストレスが溜まる。「我慢」することにエネルギーを使いたくない。欲望のまま甘いものも夜食も食べたらいいじゃないかという気分になる。少々小太りになろうが、知ったことか!とタガが外れる。で、お風呂の湯船につかって自分のお腹の周りの浮き輪のような肉をつまんで、がっかりする。鏡を見ても、二重アゴにしょぼーんとなる。

四つ話のクローバー』という本の中で、大きな望みで小さな望みを従わせるという言葉を知った。これをダイエットにあてはめてみると、「やせたい」という望みが小さいから、「甘いもの食べたい」という望みに負けてしまうわけで、もっともっと大きな望みがあれば「甘いもの食べたい」は抑えられるわけだ。

そもそもなんで、わたしはやせたいのか。それはきれいになりたいからだ。なんで、きれいになりたいのか。もてたいのか。いや、もてたいわけじゃない。いや、もてたい(どっちだ)。というか人には好かれたい。けれども「きれいだから」という理由で寄ってくる人に面白い人がいるわけがないし、仲良くなれそうにもない。うーん、じゃあ、何できれいになりたいのかというと、きれいだと自分が嬉しいからだ。太ってたらしょぼんとなる。服が似合わなかったり、鏡を見て二重あごだったり、お風呂に入ってお腹をつかめたり。ああ、つまり、「自分を好きになりたい」からやせたいんだ、わたし。

わたしの望みは、自分を好きになりたい。

よし、いいなこれ、しっくりくる。もし、自分を好きになれるのなら、別にやせなくてもいいわけだ。お腹の肉を見て憂鬱になったり、服が似合わなくてうんざりしたりしなければ(無理だ)。

お腹空いていないのに甘いものを詰め込むなんて体に悪いからやめとこう、と理性で止められたら、きっとわたしは自分をちょっと好きになる。やせるためだったら、次の日体重が減ってなかったらもうやる気をなくしちゃうけど、「自分を好きになる」望みは確実にかなえられる。

「自分を好きになる」は、わたしが幸せでいられる条件のひとつなんだろう。この年になって、ようやくわたしは自分が幸せになる条件その1を見つけたわけだ。

お金持ちになるとか、美男美女と結婚するとか、良い大学に行くとか、庭付き一戸建てに住むとか、子どもや孫に囲まれるとか、そんな幸せのテンプレート(※昭和仕様)にがっちがちに四方八方固められて、これを壊すのに40年かかったということなのかもしれない。

自分がどうしたら幸せになるかをちゃんと見つけたら、自分を幸せにしていけるし、自分が満ち足りて初めて人を幸せにできるんだと思う。ふわあ、遠い。

「君を幸せにするよ」と誓い合う恋人たちよ。自分の幸せすら見つけるのは至難の業よ。ましてや、他人の幸せなんて。…って、悩んでプロポーズの時期を逃したら困るよね。「一緒に幸せを見つけていこう」とかどうでしょう? もし使ったら相手の反応とその後を教えてください。参考にさせていただきます。

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いいことありますように!
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京都在住の小説家です。理系ライターもやっています。

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考えていること
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  • 35本

日々、考えたことを少し長い文章で。まだまだ人として未熟だからきっと考えは変わっていくのだろうけれど、その途中過程を書いておきたい。

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