理系ライターという生き方

※この原稿はわたしが所属する理系ライター集団チーム・パスカルのメンバーによる「理系ライターという生き方」という本の一部として2017年に書いたものを2020年のわたしが加筆・修正したものです。「理系ライターの生き方」全文はチーム・パスカルのHPから読めます。

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 自分は他の人とは違う特別な人間なのではないか。そんな思いに取り憑かれて、肥大した自尊心をもてあまし、ここにいる自分は仮の姿と言い聞かせ、いつか見返してやると思いながら実質的な努力を放棄して現実から逃避し続ける恐ろしい病がある。その病名は中二病である。

 多くの場合、中二病は挫折経験をきっかけに治癒し始める。世の中に放り込まれ、自分がいかに大したことないか、その他大勢の一人であるか、それどころか内心バカにしていた「普通の人」がそれぞれの分野でプロフェッショナルとして努力して活躍しているということを知って、口だけの自分の空虚さを思い知り、脳みそを裏返されるようなショックを受けて、やがて何もない自分と向き合えるようになる。それが中二病の治療経過である。

 わたしがこじらせすぎたその病から抜け出したのは27歳の頃だった。大学院の博士課程の最終学年の前の年である。そろそろ進路を考える時期だった。ふと気がつくと、目の前には、灼熱の荒野と切り立った崖とうっそうと茂る原生林しかなかった。同級生たちは躊躇することなくそこへ踏み入り、道なき道をガシガシと進んでいく。

 働きたくないから院へ進もう、学生のうちに小説家デビューしよう、その後はどこかの大学の助教になって、細々と研究しながら小説家をすればいいなんて考えていて、未だそれを達成できていなかったわたしは、急に突き付けられた現実に、え、ちょっとこんなの聞いていないとおろおろした。「どこかの大学の助教になって研究しながら小説家をできる」人なんて、本当に一握りしかいない。超絶難関コースだと思い知った。

 そうだ、企業の研究職に応募しよう。わたしは、荒野から逃げ出して、巨大な冷たいビルを出たり入ったりしながら追い返されて落ち込む日々を繰り返した。研究にも自分の人生にもちゃんと向きあかわず、小説家になるまでの腰掛けという思惑がちらちら覗く学生を、採用したい企業などない。人事の方はやっぱり人を見る目がすごいのだと思った。

 いつでも会社員になれると思っていた自分が幻想だったと気づいて、元の巣に戻ってきた。逃げ場所がなくなって、ようやくわたしは、今自分がどんなところにいるかを初めて直視することができた。同時に初めて小説家を目指すということがどういうことかもわかった。研究者の道は険しいし、就職も大変だ。でも小説家になって生きていくのはそれと同じくらい、もしかしたら、それ以上に大変ことなのだということを認めることができた。 

 研究者と小説家と両方なんて無理だ。でも、本気で人生を賭けて勝負したらどちらかひとつは手に入れられるかもしれない。そう考えたわたしは、博士課程が修了したあとは研究を離れ、小説家を目指すことに専念することにした。1年後に新人賞に引っかかって何とかデビューすることができた。

 その後、売れない小説家として塾講師や単発バイトをしながら7年経ったときに、理系ライター集団チーム・パスカルに出会った。理系博士で小説家ならやれるんじゃない? という大らかな感じで仲間に入れてもらった。ようやく、書くことで食べていけるようになった。せっかく取ったのにもったいないと言われ続けてきた博士がようやく役に立った。

 研究者に取材して、研究内容を分かりやすく伝えるのが理系ライター(と、チーム・パスカルでは定義している)。サイエンスライターは自説を繰り広げるけど、理系ライターはあくまで翻訳者だ。専門外のことも書かなくてはいけない。

 理系ライターをやってみて大学院で学んだことは実験や研究だけではないことに気がつく。プレゼンもできるし、山のような論文を調べてレビューを書くこともできるし、ロジカルな議論をすることもできる。そのなかでも一番役に立っている能力は「わからなさと誠実につきあう能力」ではないかと思っている。わからないというのはどうも気持ち悪く嫌な状態で、さっさと処理してしまいたくなる。放り出したり、あきらめたり、ごまかしたりしたくなる。普段の生活なら、自分は専門外だし、とか、興味がないから、とか、そんな言葉で逃げられるけれど、ライターとして記事執筆の任務を引き受けた以上、逃げることはできない。

 大学院で、わたしは「わからなさ」とさんざんつきあってきた。いや、大学院は「わからなさ」しかない世界だったと言ってしまってもいい。論文を読んでもさっぱりわからない。勉強会で飛び交う会話も、研究発表の内容もさっぱりわからない。こんなにもわからないことに囲まれたのは人生初めてだった。わかったふりをすることも許されないし(すぐばれる)、逃げ出すこともできない(博士号が取れない)。「わからない」は得体のしれない不気味な妖怪のようで、とにかく近くにいられると居心地が悪い。でも、自分の手を動かして実験をし、少しずつ知識や経験がたまってくると、ある日「わからない」妖怪は、小さな愛らしい生き物に変わっていた。論文を読んだら何が書いてあるか「わかる」ようになったのである。それはとても素敵な体験だった。

 理系ライターは文系だからできないわけではないし、理系だから有利というわけでもない。理系だから、文系だからということを言い訳にせず、わからない妖怪のプレッシャーに耐えてこつこつとわからないことをつぶしていける人か、もしくは敵が強大なほど挑戦したくなる人に向いている仕事だと思う。少なくとも、自分をごまかしてわかったつもりになってはいけない。「わからない」と思える感性がなければ記事を掘り下げることはできない。

 なんてこと、偉そうに言ってるけど、大学院にいる自分にも言ってやりたいよ。研究を道半ばでやめた後ろめたさはずっとついてまわっていた。でも、理系ライターを始めてから、その後ろめたさがなくなった。最先端の研究を取材できて、わかるまで懇切丁寧に説明してもらって、それを人に文章で伝えて面白がってもらって、社会の役にも立つ。博士であることも小説家であることも役に立っている。亜流だからこその役割があるのかもしれないと思っている最近です。

 書いているうちに、元の原稿とは全然違ってしまいました。いやあ、3年前なのに、過去の自分が書いた文章ってこっぱずかしい…。でもそれが3年前のわたしだから。それはそれで。前へ進まなくては。

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大学院時代のわたくし。パソコンのでかさがすごいよね。

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