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小説とライター仕事の文章の違い、その理由

先日、京都在住ライター江角悠子さんの主宰する「ライターお悩み相談会」のゲストで呼ばれていろいろ話してきました。少人数のアットホームな同業者の会だからこそ言えるあれこれ。お悩み相談というより情報交換会のような。楽しかったです。※写真、左から2番目です。(場所:下鴨デリ)

この中で、小説とライター仕事の文章の違いや書くときの違いはなんですか、という質問があって、こんな風に答えたのでした。

「小説の方が10倍くらい手間かかる。文章や言葉の組み合わせや選択を1からデザインおこしてオーダーメードの服を作る感じ。ライターの文章は文章自体にオリジナリティを出す必要はなく、むしろ出さない方がいいと思っていて、既製服を買ってきてコーディネートするイメージ」

だからといって、ライター仕事は簡単で、小説の方が難しいとか高尚だとか思っているわけではない。小説は、そんなふうに書かないと成り立たない理由がある。と、言う話をすればよかったと思ったのでここに書いている。

ライターの文章は常に文章の向こうに実在する何かがある。インタビュー相手だったり、出来事だったり、場所だったり。だから、文章の魂のようなものはその実在する何かが持っていて、いちから魂を作らなくても、存在が読者に確約されている。

でも小説は違う。読者は文章の向こうに実在する何かが「ない」ことを知っている。ないと知っているにもかかわらず、読んでいるうちに、「ない」ことを忘れて夢中になってしまったり、もしかしてあるかもしれないと思わせたりして、初めて、小説は成功するのだと思う。

それを成し遂げるには、想像力をありとあらゆる方向からはたらかせなくてはいけない。たとえば、テーマパークに架空の建物が建っているとして、それが正面の外観しか必要がなくても、どういう構造で、内装がどうなって、何のために使う建物で、どんな人が使っていて、何年に建てられて、材質がどうなっているか…などなど、実在するものと同じだけのことを考えておかなくては、もしかしてあるかもしれないと思わせるものは作れない。小説はそういうものなのだと思う。架空の人物の人生まるごと作り上げる。作品に書かれるものは、そうやって作りあげた人物のほんの一面だけだ。わたしたちがリアルな世界で出会って10分間話しただけの人が、その人なりの人生や経験や個性を内包していても10分ですべてを知ることはできないように。でも、その10分間に現れる行動や言葉は、その人のすべての複雑な結果として表れている。

こういうことを言語化できたのは、ライター仕事を始めたからこそだけども、前からわたしは、小説に「魂」が入るか入らないかということをよく言っていた。ただ出来事が書かれただけの文章になってしまうことがある。それは、「小説ではないもの」だとわたしは感じる。魂を入れるためにありとあらゆることを試す。登場人物の日記を書いてみたり、プロフィールを考えてみたり、職業の詳細を調べてみたり、忘れている感覚を思い出すためにドラマを見たり。それがなぜ必要だったのか、よくわかってきた。こんなふうにジャンルの違う文章や、目的にあった文章を試行錯誤して、違いがわかってくるのがとても楽しい。

ライターの方で、小説も書いてみたいという人にときどき出会う。小説に興味を持ってもらってとても嬉しい。でもその場の言葉だけでは説明しきれなくて、あああ、と、もどかしい。やってみてもらって、違うよこうだよってフィードバックして、ああそうか!ってなって初めて「小説を書く」が見えてくると思う。いったん見えたら、あとは筆力はあるのでどんどん書けるのだろうな。その人がどんな小説を書くのか見てみたい。
というわけで、ぜひ講座に来てください。小説家になりたいわけじゃなくても違いと共通点を見つけられて、わくわくできると思います。

登場人物を作ってみよう!~他人になりきる小説体験~
2018年7月28日(土)14:00~16:00 3,000円
OBPアカデミア(ツイン21 MIDタワー9階) 大阪・京橋


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