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傷つかない心は持てなくても回避策を考えることはできる

最近は、傷つくことが減ってきた。でもそれは、経験値が増えて、自分が傷つくような状況を回避できるようになってきたからであって、傷つかない心を手に入れたからではない。悔しくて悲しくて涙が止まらないような事態に出くわすと、防御力は少しも上がっていないのだと、思い知らされる。

傷つくときは回避し損ねたときだ。安心して相手にゆだねてしまって、それが間違った判断だと後から知って、傷つく。勝手に期待して勝手に裏切られて泣くのだから相手にとっても迷惑な話で、わたしは、それをどうにかしたいとずっと思っていた。

もう少し具体的に言うと、誰かにあなたが必要だと頼られたとき、わたしの能力を認めてくれたんだと勘違いして、嬉しくなって、見合わないほどがんばってしまって、あとから、能力を認められたからじゃなくてたまたま都合がよかったとか利用しやすかったとか、別にわたしじゃなくてもよかったというようなことが判明したときに、わたしはとても傷つく。

何度も同じ失敗を繰り返しているから、もう、どうにかしたくて、でも傷つくのをやめることはできないし、そんなふうに想い入れてがんばってしまうこともやめることはできないから、そんな状況が起こらないように行動するしかない。そのために、傷つく原因を考えてみた。

傷つくのは、「相手が自分を認めてくれている」ということと「自分の能力と時間」を交換しているからじゃないだろうか。頑張って作ったものを1万円札と交換して、あとからこの1万円は偽札でしたと言われたらショックを受けるように、「相手が自分を認めてくれている」というのが勘違いだと判明したとき、わたしは費やした「自分の能力と時間」の価値が不当に低く見積もられたと思って、悔しく悲しくなってしまうのだろう。

ということは、そもそも、そんな不確かなものと「自分の能力と時間」を交換してはダメなんじゃないだろうか。認められてるって何で測るんだろう。相手がいくら口や態度で認めていると言ったとしても、ほめそやしても、そんなの本心とは限らない。本心だったとしても、見合わない条件を出す以上、ほめて、それと引き換えに何とか済まそうとしているわけで。

そんなことをうだうだと考えていくと、とてもシンプルなルールを思いついた。

①自分の能力と費やす時間に見合う報酬を提示され、かつ、やりたいと思えたときに引き受ける

②報酬が見合わない、かつ、相手が「寒竹じゃなくてもいい」と思っているという二重苦でも、やりたいと思えたときに引き受ける

①は特に説明する必要もない。こんな話なら申し分ないというか、幸せですね。

②はどういう状況かというと、ものすごい面白くて自分の勉強にためになる企画や仕事が、たまたま知り合った人が携わっていて別に誰でもいいんだけどタイミングよくそこにいたからやる? ってなこととか。本当は別の人がやるはずだったんだけど、たまたま穴が開いちゃったからやる? みたいなこととか。わたしにとってチャンスな状況。誰でもいい仕事が自分に回ってきてラッキーって思える状況。最初から自分じゃなくてもいいってわかって引き受けるのだから、何があっても、あとで「傷ついた」なんてめそめそすることはない。もし、万が一、一緒に仕事をする中で相手に認められていると感じることができたとしたら、それは幸運で甘美なおまけのようなもの。なくてもやる、あったら嬉しい、というもの。


というわけで、2020年のわたしは「相手が自分を認めてくれている」かどうか、なんてあやふやなものを交換条件に絶対にしない。しないぞ。しないんだからね。それをするから、今まで傷ついてきたんだと思う。

だって、認めているかどうかなんて本当は測れない(お金は便宜的にそれを見える化できるので納得しやすい)。相手は充分認めているつもりでいるけれど、こちらとしてはそんなことくらいじゃ認められていないと思って傷つく。測れないものを取引の材料にするのは不毛だし、一番大事なものを人質に取られているような、そんな気さえする。そんな、自分にとって大切なもの、無碍にされたらボロボロに傷ついてしまうものを取引の条件として差し出してはいけない。

相手が自分を認めてくれているかどうかなんて、知らんし。

能力と費やす時間に見合う報酬を、

金がないなら、代わりに能力と費やす時間に見合うワクワクを。

自分基準で動かなければ。自分を大切にするってそういうことだ。

わたしを傷つけるようなことをしていたのは、わたし自身なのかもしれないなと思った。うすうす気づいていたけれど。


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