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「ビビり犬」から「微ビビり犬」へ

我が家の犬、チノはとんでもないビビりである。

12年一緒に住んでいる我々家族と家の中でうっかり鉢合わせると、声も出さずにのけぞって1秒で去っていく。そして久しぶりに会った兄(チノを溺愛している)とは初めの30分、目を合わせることができない。そのくらいのビビりだ(目を合わせようとすると、そぉーーっと顔をそむけて見ないフリをして、耳が極限まで後ろにたたまれる)。

彼女が生まれたての子犬なら、なんだか少し理解できる。人間でも生まれたての赤子は自分のくしゃみに驚き、自分のおならに恐れて泣き出す。しかし12年である。12年というと、人が生まれて小学校を卒業するまで、自分のくしゃみに驚いていた赤子が分数の割り算が出来るようになるまでの期間だ。
この相当な期間を常にフレッシュにビビり続けることが出来るのは、ある意味すごいかもしれない。

チノはイタリアングレーハウンドとダックスフンドのミックスで、12年前に我が家にやってきた保護犬だ。
当時は2歳くらいと聞いていたので、2022年現在は14歳程度になっていると理解している。確かに数年前から顔周りは白髪だし、瞳も少し濁り耳も呼びかけに応じないことが多い。「お手」に応じる気も無くなったらしい。14歳は妥当な気がする。

ベルベットのような毛艶の良さと頭の小ささはイタグレの血を引き継ぎ、足と胴の長さはダックスフンドの血が濃く出ている、流線形の仔牛体型の犬だ。小さい頭に長い首、その先に太い胴体で、時たま『千と千尋の神隠し』の「カオナシ」に見えるときもある。暴君なカオナシじゃなくて、おとなしく電車にのっている時の、あのカオナシである。

家に迎え入れた当初のビビりはMAXで、一日中震えていたように思う。自分の体が取りうる最小面積で座り、顔を下に向けたまま上目遣いでキョロキョロと家や我々の様子を伺っていた。誰か人間がこっちを見ようものならば、すかさず顔をそむけ、しかしすぐに様子が気になるので目を戻すとまだ人間が見ているので慌てて顔を戻して、しかしまたすぐに気になって目を戻して、するとまだ人間が見ていて・・・・というやり取りが続いた。
保護される前は一体全体どんな生活を送っていたのだろうか。常に人間の様子を伺って、逃げる姿勢でないとなにか嫌なことが起きてしまっていたのではないか。ぼやんとした想像はするけど、具体的にはしたくない。
我々と時間を過ごせば、ビビりはすぐになくなるはず・・・。

そう思い続け12年、今に至ってもビビりは治っていない。はてさて、このビビりはどういう構成になっているのだろう?と、分析してみることにした。

まずはイタリアングレーハウンドという犬種に備わった元々の性格を調べてみる。

  • 感受性が強く、臆病で繊細

  • 人の気持ちに敏感なので、強く叱りつけると性格に影響

  • 穏やかで攻撃性が低い

チノに当てはまることばかりである。

とにかく「知らないもの」を怖がって、震える。
外に出ると眉毛を下げて「ワタシどこかに置いていかれる?」という表情で震えて、一歩も歩かない。家に来客があると音も立てず寝室に逃げ込み、ベッドの下の奥の方で震えている。
不意に現れる人影も、家族がお昼寝するためにフワッとさせたブランケットの影も怖すぎてのけぞり、震えながら逃げてゆく・・・。

こうした震え癖はイタグレ由来のようだ。
「お散歩怖い」と「来客怖い」は12年かけてかなり薄まってきたように思う。さすがに12年もあれば慣れてきて、我が家を「自分のおうち」として、家族を「安全な人たち」として認識するようになったのだろう。

慣れたはずの我々だが、いまだに顔色を伺っている感じはある。「あれ!?」などと大きな声を出してチノの顔を覗き込むとたちまち震え、家族全員で出かける準備をしていると「置いていかれる」雰囲気をいち早く察知してソワソワしだす。顔色を伺っていないと安全な家を失ってしまうかもという恐怖は、保護犬になった時からずっと残っているのかもしれない。

イタグレのビビり要素と、保護犬のビビり要素をチノから引き算すると、残りはチノだけが持つ個性となる。彼女には、「ビビりながら図太い」というキャラクターがある。

6年前に亡くなった先住犬のダックス「パリ」に対しては、一度もビビらず兄貴のように慕っていた。パリはうざそうな顔をしてチノを避けていたが、チノはパリの行く先全部についていき、横にピッタリ寄り添って昼寝をしていた。一匹用のカゴに無理やりぐりぐりと体をねじ込んで二匹で寝ていた。むしろパリの上にのっかっていた。
そんな人間の家族よりも慕っているパリのおやつと餌を、チノはあろうことか横取りしていた。そう、チノは食に貪欲なのだ。

パリは貴族だった。ブリーダーの元に生まれ、我が家に来てからも競争を知らず優雅に食事をとっていた。おやつも餌も好きなタイミングで食べるし、気分がのらなければ小休止も可能だ。
しかし食に貪欲な妹分のチノが家に来てからは、丸腰の貴族はあまりに無防備すぎた。すぐにパリの餌やおやつを横取りするので、人間が見張らないといけなくなった。武士の始まりである。

チノの食い意地はゴミ箱にまで至る。我々は十分に食事を与えていたと胸を張って言えるが、チノはチャンスがあれば食べ物を漁ってしまうのだ。しかも、絶対にその姿を見せない・・・。
我々が発見して「あ〜!やられた〜!」などと叫ぶと、ビビって無言でベッドの下に逃げ込んでいく。・・・なんてビビり図太いやつなんだ。

一度、家を出た直後に忘れ物をして戻ったところを「さあ!」とゴミ箱に手をかけているチノに遭遇したことがある。お互いびっくりして固まり、なんだかこちらが申し訳なくなった。
カリカリ餌の袋が入っている棚を閉め忘れて人間が出かけてしまい、チノは餌の袋から直食いという夢のような時間を過ごしたこともある。帰宅してみるとお腹が信じられないほどパンパンになっていて、さすがに次の日はまるまる食事をとらなかった。限界量を超えたらしい。

そんなチノも、老いてきた。食欲も少しずつ減り、以前のようにゴミを漁ることは無くなった。また、老いは彼女の目と耳の感度も鈍化させ、以前ほどありとあらゆるものにびびることも無くなった。

こうしてチノは「慣れ」と「老い」で持ち前の「ビビり」を「微ビビり」にまで減らした。そしてビビる要素を極限まで減らしてくれる家族と共に今、晩年を過ごしている。年老いた彼女には平穏な日々を是非とも過ごしてほしい。人間世界では忌み嫌われている「老い」も悪くないことを、チノは教えてくれている。


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