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034 自給自足

自給自足とは

 「自給自足」は、小学用国語辞典にも載っていることばであり、田舎の暮らしや少し以前の日本の主流の暮らし方だとさせる。一般的には「自分の必要なものを自分でつくる」といった意味で使われている。

 そこで疑問が生じる。自分の必要なものを自分でつくるのであれば「自需自給」になるのではないか。また、自給自足を文字通り解釈すれば、「自ら給して自ら足りる」もしくは「自分でつくって、自分で充分とする」意になるのではないか。通常の「自分の必要なものを自分でつくる」では自足「自ら足りる」の意味がついていない。


自給自足は不可能

 そもそも、完全自給自足となれば、どの時代でもどの地域でもほぼ不可能なことではないか。海岸や岩塩の取れるところの近くに住まない限り、塩は作れない。塩を採れなくても、エスキモーやアイヌや中央アフリカのある地域やサモアの伝統的な暮し方のように、狩猟で獣の血液や肉から塩分を補給する方法もある。ただ狩猟では自分で作る意の強い自給とは少し外れる。狩猟でなく自給すなわち穀物や芋などを主食とする農耕をして暮らせるようになったのは、塩を取ることを覚えたからである。穀物ばかり食べていては、塩分が不足してしまうから。

 また、縄文時代ですらヒスイなのでかなりの広域交易があり、その際なにか交換していた。だから、当時のバンド(集団)の生活であっても完全自給自足で孤立していない。そもそも、人間は100万年前にアフリカの東海岸で生まれて、世界各地に広がったのだから、隣の地域と交易があるほうが普通なのである。

 大体、生理学的に言っても、日本の昔であっても、未開の地であっても、血が濃くならないように、外から人を入れるのだ。そのためには、日常においてなんらかの交流が必要となる。知らないところに娘はやれない。心は太古より変化していないのは心理学の前提でもある。だから完全に孤立するような完全な自給自足は古今東西ありえなく、一種の幻想のようなことばである。なのにこれほどまで浸透している。


自給自足は何語か

 一見すると中国で作られた四字熟語のように見られるが、どうであろうか。「自給」も「自足」も江戸時代の時代劇には出てこなそうな響きのことばである。となれば、明治以降の翻訳語の可能性もある。そうなれば、もともとは欧州のことばなのか。

 国語辞典を調べたら語源説は二つあった。英語のセルフサフィエンシー『大辞林第三版』とドイツ語のアウタルキー『岩波国語辞典第六版』である。両方ともギリシア語のアウタルキアから来ている。

 セルフサフィシエンシーとは、セルフ=自己、サフィシエンシィー=充足の意である。だから表意は自己充足である。この二つの説の関係は、大正9年(1919年)に英語のセルフサフィエンシィーの訳語として「国家の自給自足」として作られた。そしてその後広まったのは、昭和4年(1929年)アメリカ発の世界恐慌があり、その経済対策の政策として、世界的に相互依存していては危ないということで、ブロック経済政策(ブロック内で自給自足をめざすこと)が世界的に脚光を浴び、その政策をギリシア語のアウタルキア(自給自足)としたのでであった。

 よく似た言葉として「人給家足」(どの人も家も衣食住が足りている。ひいては、世の中が太平で豊かなこと。)がある『大漢語林』。出典は史記。これを模した可能性もある。


個人の自給自足は戦後から

 幾つかの国語辞典を調べると、まず自給自足の派生語である「自給自足主義」が廣辞林(大正14年・1925年)から載っている。単独の「自給自足」としては、明解国語辞典(昭和18年1943年)に「自国の必要物資を自国産の製品で供給すること。アウタルキー。」として載る。これは国家の意なので、その国家の限定が外れるのは、戦後、辞海(昭和29年1954年)「自らの需要を自らの生産によって満たすこと。」であった。

 次に出典から考える。日本国語大辞典によれは、出典は「改訂増補新しいことばの字引」であり、大正9年1919年である。明解国語辞典に載るまで24年である。これは国家の意である。個人の意では「熊の出る開墾地」昭和4年1929年であり、その25年後の辞海に記載される。

 初出典と国語辞典に記載させるまで時間がある。それは新しい言葉は知識人より使われ始まるだろうが、浸透するまでにかなり時間が掛かるということだ。浸透されず死語になるものの方が多いだろう。だから国語辞典は今後流通しそうな語を見極め記載するのが主な仕事だ。当然だが使われないことばを引く人はいないからである。

 また、古語辞典は江戸時代以前の言葉の辞典であるが、それと明治以降の国語辞典とはかなり大きなズレがある。そのほとんどが文明開化のときにつくられた翻訳語である。また文語体を口語体に変えたのも文明開化の影響である。宇宙・地球・自然・世界・国家・社会・会社・家族・法律・道徳・慣習などなど今では当たり前に流通していることばも、当時は全く目新しい言葉であった。しかし幸い漢字は表意文字であるので、字面をみれば、なんとなくだが意味がつかめる。言葉を聴いてもわからないが、字を見ればなんとなくわかる状況なのだ。

 その知識人と大衆との媒体が新聞であり本であった。そんな文明開化の影響を受けた人とそうでない人が会話するのは、かなりの難儀であっただろう。だから、わからない言葉について「どんな字を書くのか」問うのは病気ではなく、意思の疎通をする以上やむ終えないことだったはずである。こういった時代だから言海を初めとする国語辞典ができたのだ。学校に行けば生意気になるのも、知らない翻訳語を使うからだろう。

 だから自給自足が現代の意味で国民にある程度浸透したのは、もっとあとであろう。初出の出典の大正九年以降発行された、主要な国語辞典である廣辞林・大言海・廣辞林改定版・辞苑・言苑・大日本国語辞典には記載されていない。ようやくにして明解国語辞典に載ったのである。戦後は、辞海が発行される前の言林(自給自足はない)・ローマ字で引く新国語辞典・明解国語辞典改訂版でも個人の意の自給自足は記載されなかった。これらを考慮すれば、戦後、現在の意で浸透するようになったのではないかという推測ができる。

 ちなみに主要な漢和字典では、詳解漢和大字典の新訂版(昭和11年・1936年)自給の項目の例に載っている。


 次に基本的に日本の出版物のすべてを蔵書する国立国会図書館の蔵書のデータベースをインターネットを使い、「自給自足」を含む題名・目次を調べてみた(2008年10月時点)。ちなみに、この方法を使えば、「自給」ということばは日本国語大辞典より早い時期に出典をみつけられたので、今後初出典を調べる際に参考になる。その結果は

1920年代で1冊
1930年代で6冊
1940年代で6冊(大東亜戦争前後)
1955年から1973年の高度経済成長時には無く、
1975年に1冊
1980年代に8冊
1990年代に5冊
2000から2008年までに13冊であった。

 題名・目次から推測して戦前は国家と個人の比は約半々、戦後はほとんど個人の意であった。これらから大正時代に作られたことばの自給自足は、戦前すくなからず使われたが、戦後の高度経済成長時代に入ってまったく使われなくなり、1973年のオイルショック以降また徐々に使われるようになり、2000年以降が最も注目されているということだろう。そして、この傾向は増えていくのではないかと考えている。


#小さなカタストロフィ
#microcatastrophe

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