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【「憎悪」は笑顔の形で現れた】 やまゆり園事件後 最初の寄稿(中編)


ちょうど4年前、2016年7月26日に、津久井やまゆり園事件は起きました。障害を持つ子の父として、大きな衝撃を受けました。私の勤務するRKB毎日放送(本社・福岡市)は、TBS系列のローカル民放で、私は東京駐在の記者として赴任したばかりでした。

TBS総研発行の『調査情報』誌からの依頼で、私は、「11-12月号」に文章を寄せました。事件から4年後の今日、改めて個人のnoteに掲載します。

記者として、障害者の親として思う「実名匿名」

今回、私の個人的な文章が相次いでメディアに採り上げられたのは、メディアの側に忸怩(じくじ)たる思いがあったからだと思う。
加害者の供述を報じながら、被害者の無念をほとんど伝えられなかった。もちろん、神奈川県警が被害者の実名を公表しなかったからだ。神奈川県警は、被害に遭った障害者の家族に「名前を出していいか」と聞き、その意向に沿ったのだ、という。

私は8月11日夜、フェイスブックにこんな文章を投稿している。

< 学校行事などで直面することが多くなったのが、「親に聞いてみたらだめという人がいますので取材はお断りします」と言われること。だが、「どうしてもダメという方がいたら理由を聞いてもらえますか」と頼んだ学校では、ほとんど断われたことはない。

DVで避難している子がいたらまずいので、どうしてもダメな人がいるかどうかは、きちんと確認したい。「あの子は映さないでくださいね」と言われたら、その通りにしてきた。

事件事故で、遺族に会うのは、取材する側も非常に辛い。だけど、「取材してくれて初めて話すことができた」という方は確かにいる。「あの子が生きていたことを伝えたい」とおっしゃる方もいる。

TBSの西村匡史記者が書いた『悲しみを抱きしめて 御巣鷹・日航機墜落事故の30年』(2015年刊、講談社+α新書)を読むと、そんなご遺族が出てくる。

「わしらがな、ここまでやってこられたのはもちろん遺族同士の支えもあったけど、それだけやない。上野村や藤岡市をはじめとする地元の方々が、わしらでは考えも及ばんほどの温かいご支援を長年にわたってしてくれた。その感謝をいつか伝えなければあかんと思っておった。ここであんたに出会えたのも何かの縁かもしれん。そこまであんたが思ってくれるのなら、カメラでの取材を受けてもええよ」

取材をしたのはこの翌年のことだという。「初めて明かしてくれた2人の事故と事故後の凄絶な日々。それは私の想像をはるかに超えるものだった」と西村記者は書く。それは、意を決してお願いしなければ、世の中には出てこないものだった。

ある先輩記者は、炭鉱事故の遺族とその後も付き合った。10年後、妻から「事故のこと、あなたから子供に話してやってくれませんか」と頼まれたという。記者も人、取材先も人。そんなこともある。

神奈川県警は、どんな聞き方をしたのだろうか。「受けなくてもいいから」という前提で聞いたのではないだろうか。県警は、障害があることを匿名の理由として挙げている。結果として、障害者は特別という誤ったメッセージを発信していないだろうか。

自分が入っている障害児の父親の会で昨日、「みんなが嫌がっているなら匿名でも仕方ないのでは」と聞かれて、僕はこんな話をした。

明日は、日航機事故が起きた8月12日。

日航機の墜落した群馬県上野村は、私の実家から直線距離でわずか20キロしか離れていない。当時、浪人中の18歳だった私の目の前で起きた事故は、強烈な記憶だ。30年が過ぎても、若い記者が取材に取り組んでいるのを知ってうれしくなった。

おそらく、神奈川県警はきちんと配慮して対応したつもりなのだと思う。だが、そもそも「被害者が障害者だから」、わざわざ聞いたのではないだろうか。そこには、「障害者だから特別」という視点が感じられる。容疑者の供述と、どこかで通底するように私には思える。「結果として、障害者は特別という誤ったメッセージを発信していないだろうか」と書いたのは、そういう理由だ。

この投稿の前日、夏休みでたまたま福岡に帰っていた私は、障害児の父親で作る団体「障がい支援*福岡おやじたい」のメンバーと久しぶりに酒を酌み交わしていた。そこで、この事件の実名の可否について議論になった。

翌日の私の投稿に、メンバーがコメントを寄せたので、フェイスブックの上で二人と少しやり取りをした。

吉田 先日は聞きそびれましたが、自分の子どもが被害者であれば、実名報道によることによる取材は、受けたくないのも実感かと強く感じます。日航機墜落とは違い、酷く惨い殺傷事件なのが理由となります。

神戸 よく理解できます。でも、今回も取材に応じ、すでに放送に出ている親御さんは現実にいらっしゃいます(報道機関が何とか割り出して、応じてもらったのだと思います)。
それほど無念の思いは強く、「子供はかわいいんだよ」と訴えずにはいられなかったのだと想像します。人それぞれではないでしょうか。

吉田 それぞれでしょうね。それでも匿名。当事者にならなければ、無念を思うその心境は本当には理解できない気がします。

向井 原爆にあった被爆者も同じです。被爆者と言えない辛い日々がありました。私も被爆二世です。
何かあった時に障がいが原因なのか不明であるにも関わらず、「障がい者の」と言うのであれば、匿名にすべきだと思います。「障がい者の」と言わないのであれば実名でもいいと思います。
そこのニュアンスを感じとることと、冠に障がい者とつけるべき事象なのかどうかをメディアはしっかり考えてもらいたい。
世の中が、関係なく受け入れられる先進的な時が早く来ますように。

県警が匿名で発表したことの是非については、障害者の親でもさまざまな意見がある。だが、犠牲者は「A子」というような記号ではない。ちゃんと生きて存在していたのだから。
時間が経ち、「今なら、取材を受けたい」「無念の思いを知ってほしい」と思う家族は必ずいる。

そんな小さな声をすくい上げるためには、西村記者のようにお願いするほかはない。水を浴びせかけられても、「申し訳ありません」と、何度も口にしつつ。

だが、それには「資格」が必要だ、と私は思う。

後編に続く)

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