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【「憎悪」は笑顔の形で現れた】 やまゆり園事件後 最初の寄稿(後編)

ちょうど4年前、2016年7月26日に、津久井やまゆり園事件は起きました。障害を持つ子の父として、大きな衝撃を受けました。私の勤務するRKB毎日放送(本社・福岡市)は、TBS系列のローカル民放で、私は東京駐在の記者として赴任したばかりでした。

TBS総研発行の『調査情報』誌からの依頼で、私は、「11-12月号」に文章を寄せました。事件から4年後の今日、改めて個人のnoteに掲載します。

報道に必要な「資格」

ニュースの編集長をしていた2008年、放送原稿を書く際の注意点やスーパーの効果的な使い方などを説明する資料を作った。若い記者に向けた、具体的な原稿執筆のノウハウだ。
しかし、最後の第9講だけは、取材姿勢の話にした。

「公正さ」について、最後に考えましょう。

・ ネタが取れず困って嘘をつく――その場しのぎ
・ 意図的に報道をする ――利益供与
・ ネタの価値よりデスクの意見を優先させる――自己決定の回避(保身)

自分はこんなことはしない、と否定しますか?
しかし、現実的には私たちの周りには日常的にこのようなことがあふれています。強いものには逆らわない、そんなサラリーマン的な風潮が報道の多数派になった時、国家は道を誤ります。

敗戦を迎えた当時の毎日新聞西部本社の編集局長は、次のように書き残して、新聞の廃刊を進言し、辞職しました。
「軍部のお先棒を競って担いで、敗戦のドタン場まで国民の目を覆い、死地にまで引きずっていくことに無条件盲従した責任は免れまい」

戦争が引き起こされた理由はさまざまありますが、
・多様な言論を許容しない雰囲気
・浅薄な歴史観の広がり
――は、時代の歯車を回す大きな力になりました。

時流に身を任せ、ものを言わなかった(その場しのぎ)。
もしくは黙認した(自己決定の回避)。
もしくはネタ元に媚びた(利益供与)。

先輩たちは、痛切な自己反省の上に立って、戦後のジャーナリズムを築いてきました。「戦争を起こさないために、報道は存在している」。これが、何百万人もの人の命と引き換えに得た、戦後ジャーナリズムの魂です。

翻って、現代。

「アイ・キャッチのためなら、少しくらいオーバーな表現になってもいいじゃない」という放送人。
「会社としてはこうだろう」と私たちに何かを要求してくる上司。
「自分たちこそが正義だ」と確信を持つあまり、ほかの多様な言論を許さない市民。
「核装備も選択肢のうち」と簡単に言ってしまう若い政治家。

考え方が右か左かは関係がありません。私たちは、こうした人と相対するたびに身を引き締め、同調することを戒めなければなりません。

記者になった時、先輩から言われました。
「社外とけんかしたいなら、先に社内でも戦ってからやれ」
「みんなが同じ方向を向いたら気持ち悪いだろうが」

いつも天邪鬼(あまのじゃく)でありたい、と私も思っています。

・自分のためでなく   (× 保身)
・誰かのためでもなく  (× 利益供与)
・取材先と向かい合い  (× その場しのぎ)
・未来にささやかな責任を持つ
  (自分もまた歴史の中で生きているという認識)

言葉にしてしまうと格好よすぎますね。でも、こんな当たり前のことが「公正さ」ということではないのだろうか、と思うのです。

当時42歳だった私は、記者の先輩たちから教えられ、自分で咀嚼(そしゃく)してきたことを、経験が少ない若い記者に易しく伝えようとした。

「『自分たちこそが正義だ』と確信を持つあまり、ほかの多様な言論を許さない市民」とは、学生運動や平和運動を分裂させた左翼をイメージしていたが、今ならばヘイトスピーチを叫ぶ人々がまさに含まれるだろう。

時代のうねりは、明らかにやってきている。2001年の9・11ニューヨーク連続テロから、2011年の3・11東日本大震災・福島第一原発事故の10年間で、世界も日本も新たな時代へと入ってきた。
戦後の民衆があれほど望んだ「平和」を訴えることが、「反日」と言われ、日本の核装備を主張した人が防衛大臣に座った。
経済成長ははるか過去の話となり、メディアの経営基盤も揺らいでいる。「会社のためではなく、社会のための仕事をしろ」という記者の魂論は、今もその通りには語りづらい次代になった。

「戦後」の次は、どんな時代になるのか。前時代を全否定するのではなく、引き継ぐべきものは何なのか。メディアにいる私たちは、漂流しながら、次代の羅針盤を探し求めていかなければならない。

だが、どんな時代になっても、現場に行って当事者から一次情報を聞く「取材」という行為を担う人は必要だ。それが、新聞や放送といった既存メディアなのか、ネットメディアなのかにかかわらず。そして、情報があふれる中で、「公正さ」の大切さはより増していると思う。

――私たちは、やはり取材に行くべきなのだ。

私たちにできること

相模原の事件発生からわずか10日後、大阪の毎日放送(MBS)は、深夜のローカルドキュメンタリー『映像』の枠で、17年前の障害者のドキュメンタリーを再放送した。
『映像’90 ふつうのままで ~ある障害者夫婦の日常』は、脳性マヒで手足が不自由な夫婦2人が、周囲の多くの人たちの助けを借りながら一人息子を育てていく姿を撮影した番組で、1999年の「国際エミー賞」ドキュメンタリー部門で最優秀賞を受けている。

この番組を制作した澤田隆三さんからのメールには、「実はある友人が相模原の事件をうけて、『最近の障がい者は謙虚さに欠けている気がする。あの犯人の言い分にうなずく者もいるのではないか』と言ったことに強いショックを受けたことが、放送を決意した最大の要因でした」とあった。

謙虚さに欠けている……。「ある友人」は、どんな障害者と会い、何を見たのだろうか。私には思いつかなかった。ネットに広まる「憎悪」を真に受けているのではないか?

MBSに続き、福岡のRKBでも、私が10年前に作ったセルフ・ドキュメンタリー『うちの子 自閉症という障害を持って』を再放送した。
事件発生からちょうど1か月に当たる8月26日の午前10時台。以下は、再放送に際して、竹島史浩・報道局次長が書き、キャスターが読み上げたRKBからのメッセージである。

神奈川県の障害者施設で、19人の命が奪われ、27人が負傷した痛ましい事件から、きょうで1か月となります。逮捕された男は、「障害者がいなくなればいいと思った」などと供述しています。

人間の尊厳を踏みにじる言動に、「心の中をやすりで削られているように感じた」と話す、障害者の父親がいます。

RKBの神戸金史記者。長男は自閉症です。事件の後、神戸記者は長男と過ごしてきた17年間の思いをフェイスブックに投稿しました。

「息子よ。そのままで、いい。
 それで、うちの子。
 それが、うちの子。
 あなたが生まれてきてくれてよかった」

投稿はこう締めくくられています。
神戸記者は、長男を育てる妻にカメラを向けました。すばらしい絵を描く自閉症の青年や、重度の自閉症児を懸命に育てる母も取材しました。子供は、ゆっくりだが確かに成長していく。そのささやかな希望が番組のテーマです。
重度の障害者を殺傷する残酷な事件が起きた2016年、RKBからのメッセージとして改めて放送します。

BS―TBSの番組『サタデードキュメント』は、RKB『うちの子』を10月8日に、翌週15日にはMBS『ふつうのままで』を相次いで全国放送し、強いメッセージを発信した。
メディアとして何をなすべきなのか。多くの人が模索している。

最後に、自著を紹介したい。『NEWS23』を見た出版社から、「本にして出版したい」と声がかかった。『障害を持つ息子へ ~息子よ、そのままで、いい。~』は、事件発生からちょうど3か月の10月26日、ブックマン社から緊急出版されることになった。若い記者に読んでいただけたら、と思っている。

 (了)

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