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助六転職

誰しも転職したいと思うことはないだろうか?職場で理不尽な思いをするたびに求人アプリに指が伸びようものだ。帰りに立ち寄ったスーパーのレジ横に「スタッフ募集!明るい職場です!」などと貼ってあるとついチェックをしてしまう。
 
即採用され、たとえばデリカで寿司を作る担当になるとする。数年が過ぎ助六寿司を任せてもらえる立場。出勤し米を計量し洗米。弁当のコーナーにはおにぎり、丼ものもあるから合わせて炊飯器にセット。炊き上がりの時間まで酢飯や具材を必要な分そろえる。青果コーナーから調達した胡瓜は切ると新鮮さゆえぱりぱり。厚焼き玉子や他の具は冷凍を解凍するのみで切ってバットに出し並べる。米が炊き上がると蒸らす間に扇風機を寿司桶の脇にセットし寿司酢を計る。扇風機は寿司酢を混ぜてから米から水蒸気を飛ばして粗熱をとるもの。蒸らし終わったご飯に寿司酢をかけて、しゃもじを切るように混ぜ扇風機をご飯に当てると酢が鼻孔を一気に攻めあがる。ご飯粒がつぶれないようにしゃもじで混ぜると米粒がほほえみを浮かべるがごとく輝き始める。
助六寿司の「助六」とは歌舞伎の演目「助六所縁江戸桜」の通称で主人公の名前が助六、その愛人が吉原の花魁「揚巻」なる名前から油揚げ(揚げ)と海苔巻き(巻)を組み合わせて江戸中期の倹約令の中、演目の合間に提供されていたのがこのお寿司だったとか。ぱっと見た目は派手でなくても具は何種類も入っていて一口噛めば分かるその豪華さ。正義は勝つというごとし。
太巻きである。巻きすの上に海苔を敷いて適量のご飯をのす。上部2センチほどあける。具を真ん中より下部にすきまなく置く。手前から一気に巻き込んできゅっきゅっと巻き簾ごと形を整える。乾いたまな板に移動しご飯粒をつぶさないように包丁を揺らしながら少しずつ刃を入れる。いなり寿司は揚げに酢飯に胡麻を足したものをほんわか詰める。
10時半くらいになったら太巻き・いなり寿司をパックに詰め値段シールをはる。11時には売り場に並べに行くとすでにお客さんは待っていて置いていくそばから奪うように取っていく。作業場に戻ると寿司桶やバットが散らかっていて、一人ごしごし洗ってから次の仕事に取り掛かる。
夕方には恋人が愛車で拾いに来てくれて「今日は特に酢くさくね?」など言われて悲しくなる。

なんて想像を働かせたところで旦那は迎えにくることなんてないし、巻き寿司もめったに巻かないし、仕事も変える予定はない。そんな想像の中の人生を歩んでいそうなエプロン姿の店員の横から助六パックに手を伸ばす客であり続ける日々が続いてゆく。


#小説 #寿司

《追記》

本作品はフリーペーパーとして二年前の文フリで配布したものをネット公開しただけのものです。

新しくねぇなぁっ!と言って頂けたら本当に幸いです。

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