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〈雑記〉投手交代

 はい。こんちは。
 今日は雑記です。コンテストではないですが、noteさんがお題募集されてたので、たまには公式のお題に沿ったモノを書こう。

 ♯高校野球の思い出

 僕は小学6年生から野球を始めたのだけれど、小学校、中学校、高校、大学、社会人とそのままずっと野球少年の心を持ったまま生きている。未だに、ボールを指先で弾くだけの瞬間に快感を覚えたりする。
 僕にとって野球は思い入れがあるというか、たぶん逃れられない快感。まあ、そういうものだ。

 それで、今回のテーマについて、僕が自身の中で事件として経験したことについて、そのまま書こうと思う。しかし、これは僕にとっての事件だっただけで、甲子園がどうとかいうレベルの大した経験ではない。ただ単に、凡庸な人間の心が騒いだ経験、それだけだ。
(僕はこういった自分の中での重要な生の経験について、小説の武器にしたくない。生の経験をありままノンフィクションで武器のように書くと、僕が文章に何かを注ぎ込む前に、僕の経験に浸されてしまうからだ。
 僕が小説に注ぎたいのは僕のありのままの経験や感傷ではない、別の何かだ。)

 だから、僕は今回、雑記として自分の事実を記載し、武器を静かに置くことにする(置いておいた武器は、また解体して別のパーツに利用するかもしれないが、それは既に武器の体をなさない)。


 さて、前置きが長くなって申し訳ないが、僕の小学生からの野球経験を順に書いていこう。

【小学生】
 少年野球チームに入った。友達に誘われたから。
 僕が野球を始めたのは小6だったので、少年野球の他のメンバーからすると遅めのスタートだった。運動は苦手ではなかったので、守備位置はレフト、打順は6番とか7番ではあったが、すぐにレギュラーになった。

 少年野球にも種々の大会があり、地区予選を勝ち進むと大きな球場で試合ができるような大会もあった。僕は広島県で野球をしていたので、勝ち進むと今は無き『広島市民球場』で試合することができるのだ。
 当時の広島市民球場は、いくらオンボロ球場とはいえ、プロが実際にプレーしている場所だ。その大会は広島県で野球をする少年達としては、重要な大会として位置づけられていた記憶がある。

 僕が所属していたのはクソ田舎の少年野球チームだったが、部員数はまあまあいたので、レギュラーが揃えばある程度まとまった試合ができていた。僕たちは、その重要な大会の地区予選で決勝まで進んだ。

 もう一つ勝てば、あの広島市民球場で野球ができる!

 山奥の野球少年達は全員鼻息を荒くして、地区予選の決勝に臨んだ。僕はと言えば、背も低く野球経験も浅かったので、フォアボールばかり選んで盗塁しまくっていた。僕がチームのためにできることは、そう多くはなかったのだ。
 
 地区予選決勝戦。5回裏。2アウト満塁。
 僕らは4-1で勝っていた。
 少年野球は規定で5回が最終回。ここを守れば僕らは広島市民球場に行ける。だが、僕らのチームのエースは連戦で疲れ、いつもよりコントロールを乱し、球速も落ち込んでいた。四球とヒットで満塁。大ピンチである。

 僕はレフトでそれを見守ることしかできなかった。
「ばっちこーい。ばっちこーい。ピッチャーどんまい!」と呪文のように繰り返すことしかできなかった。

 が、が、が、である。
 エースが投げた一球は、ものの見事にレフトを守る僕の方へ向かって打ち返された。エースを見守ることしかしていなかった僕の足は動かない。前か、後ろか、そのままか、いや一歩も動いていない。判断がつかずにいる間に、打球は僕の頭上まで迫っており、「あ、グローブを出さなきゃ!」と思って僕は左手のグローブを頭上に差し出した。

 が、が、が、である。
 時既に遅し。僕のグローブが頭上に到達する前に、僕の頭上を打球が通り過ぎていっていた。それからのことは良く覚えている。僕は通り過ぎた打球を追って、レフトの奥深くまで走っていたが、半ギレ半泣きになったショートを守るチームメイトに抜き去られた。
 転がったボールは僕が掴むこと無く、ショートが素手で拾い上げ、ホームベースまで大遠投した。僕はその様子を一斉に回っていくランナーがホームベースを悠々と踏む映像と共に見ていた。

 記録はランニングホームラン。逆転サヨナラ──負けだ。
 試合終了の集合に向かう際に、ショートを守っていたチームメイトは大泣きしながら僕のずいぶん先を走って行った。僕が泣いたところで、どうにも試合の結果は変わらなかったので、試合終了の挨拶の時も、試合後のミーティングの時も、僕は泣かなかった。

 でも、試合の帰りに親の車に乗って、親父に「あれ、捕れただろ」と言われた瞬間──僕はくそむかついて「そんなん、あそこで守ってた僕が一番分かっとるわ!いちいち言うな!」って言ながらめっちゃ泣いた。
 
 あれはホームランでは無く、実質は僕のエラーだ。記録に残らない僕のエラー。あのシーンを見た全ての人が、記録に残らないエラーだと認識したはずだ。


【中学生】

 野球が好きだった。朝と放課後はずっと野球をしていた(教室では女の子のことばっかり考えていた)。僕はちゃんと野球部をしていた。
 小学生のとき、ショートを守っていたチームメイトは、野球を辞めて別の部活に入った。僕らのエースの彼は中学に入ってもエースで、1年生からずっと、沢山の試合で投げていた。

 そんな僕らのエースは、中学2年になって腰を故障した。
 田舎の野球部の部員は少ない。投手が不足した僕らのチームの監督は、僕を投手候補に指名した。しかも、「お前、肩が柔らかいだろ。横から投げてみるか」と。僕はサイドスローの投手になった。


 僕は中学3年生になっても投手を続け、エースの腰は回復しなかった。実質、ほとんどの試合を僕が投げていた。気づけば、中学最後の地区予選も、僕がマウンドに上がっていた。

 7回裏。2アウト2、3塁。
 僕らは3-2で勝っていた。これを守り切れば、地区予選を突破し、県大会に進める。負ければ、中学野球の引退である。

 マウンドに上がった僕は、小学生のあのシーンを思い出していた。小学生の時のエースの彼がレフトを守り、僕は投手としてマウンドにいたのだから。立場は変われど、僕らは一つの試合を、一つのボールを追いかけるしかない。

 が、が、がである。
 あろうことか、マウンド上の僕が投げたボールは、打者にジャストミートされ、腰を壊した彼が守るレフトに向かって飛んで行ったのだ。しかも、クソでかい飛球。

 あれは、正真正銘のサヨナラタイムリーヒットです。

 結局、2度も、僕のせいでサヨナラ負けが発生したわけである。小学生と中学生と、他のポジションにも以前から一緒に野球をしていたメンバーがいて、たぶん、たぶんみんな僕を恨んだだろう。
 しかし、試合後のミーティングで僕が泣いたところで、何も結果は変わらない。僕は泣かずに「ごめん、ごめん」と口に出して謝り続けた。

 予選敗退が決まり、中学の野球部引退となったその夜。
 僕は枕が涙で濡れるとまずいと思ったので、なぜか部屋のカーテンを使って止まらない涙を拭きまくった記憶がある。


【高校生】

 僕はアンダースローになって投手を続けていた。
 練習はまあきつかったけど、きつい練習自慢をするのは好きじゃないから書かない。高校野球をしていれば、程度の差こそあれ、「もう二度と戻りたくない!」程度の練習は誰でもしているはずだから。
 
 高校3年になると、弱小高校ではあったが部員数はある程度いたので、試合は試合としてしっかり成立するほどのチームになった。甲子園ってのは、まあ正直なところ現実的では無かったが、僕らには大した問題ではなかった。
 僕はエース番号を貰い、キャプテンを務めた。投手は僕の他にもう一人(中学の彼とは別人物)いた。僕はアンダースロー、もう一人は速球派。よく言う二枚看板って奴だ。先発もリリーフも、試合の状況と登板間隔によって、二人ともどちらも出来る状態だった。

 3年、最後の夏の予選。
 僕が引いたくじはトーナメント4回戦まで行けばシード校に当たる。広島で言うと、広陵、広商、瀬戸内、如水館……このあたりがシード校の常連だ。

 僕らはなんやかんやあって、3回戦まで勝ち進んだ。
 当たり前のように書いているが、まあ、最後の大会ってのは不思議な空間である。僕らの高校はしばらーーーくの間、1・2回戦で終わるのが普通だったので、3回戦まで進んだだけで普段仲良くもない生徒からわーきゃー言われた。
(付き合って1年以上になる彼女がいた僕もわーきゃー言われた。エースとキャプテンをしていて良かったと、心底思った瞬間である。)

 3回戦の先発は、僕ではなかった。
 もう一人の速球派の彼が投げ、僕はブルペンにいた。

 夏の試合のブルペンは最高である。

 なんてったって、応援スタンドの目の前で投球練習できるのだ。
 試合中盤に、僕がブルペンに入ると、スタンドから名指しで喋る声だけが聞こえる。
「あー!カナヅチ猫くんだ!!すごい!!下から投げてる!でも速いよ!!もっと近くでみようよ!!!」
 僕の耳には、僕のことについての声援しか届いていない。

 夏の試合のブルペンは最高である。

 そして、試合も勝っている。
 9回裏、4ー3で、勝っている。守り切れば勝ちだ。先発の彼の球速も落ちきってはいないし、球数も100を超えたところ。完投ペースだ。
 
(あ。今日はリリーフ無しか)と僕は思った。勝てば、4回戦がある。次がある。強豪校とガチで激突する次の試合があるから、僕は次の試合で投げることになるだろう。
 しかし最終回、僕らのチームはピンチを迎える。マウンド上の投手が連続でヒットを許し、1アウト1、2塁。ランナーが二人とも帰ってしまうとサヨナラだ。

 夏の試合のブルペンは最高である。

 一打逆転の場面で、僕はグラウンドに立っていない。
 小学生、中学生の経験から、僕はこの場面が苦手だ。トラウマではない。苦手だった。実際、他に何度もプレッシャーのかかる場面で投げてはいたが、あまりにも状況が似通っている。この場面──恐らく、僕がマウンドに立っていたら、暑さからくる汗とは違う種類の汗を沢山かいていただろう。

 夏の試合のブルペンは最高である。

 マウンド上の投手は、この試合を最後まで投げきることができなかった。僕もこの試合のマウンドに立つことはなかった。僕らのチームは27個目のアウトを取ることが出来ず、サヨナラ負けしたのである。


 正直に言う。
 僕は小学生、中学生の経験を、高校野球でリベンジしたかった。おそらく、野球をする上で、気持ちがピークに来るのは高校野球だ。プロを目指しているわけでもない野球少年にとって、高校野球は己の野球の全てをぶち込みたくなる、そんな時間なのだ。

 僕は高校野球で、僕の野球人生を精算したかった。僕のせいで流された涙を精算したかった。

 夏の試合のブルペンは最高である。

 僕はキャプテンとして、ブルペンで試合に参加し、涙を流すことなく試合を終えた。高校野球を終えた。すべてを終えた。寮生活をしていた僕には涙を流す場所など無かった。いや、そもそも一滴も涙を流す必要などなかった。

 夏の試合のブルペンは最高だったから。


 僕の高校野球の話はここで終わる。
 大学、社会人と、また新しいチームメイトと会うことになったし、野球をしていれば結局似たような場面に遭遇することもあった。
 だが、僕は高校野球のブルペンで気づいた。

 僕は、自身の個人的な何かを精算するために野球をやっているわけではない。チームが勝つために野球をしていた。

 僕は泣かない代わりに、マウンド上で笑っていたから。投手になったときから、笑って野球をすると決めていたから。どんなにピンチでも、ボコスカ打ち込まれても、僕は笑っていたから。
 それが、投手として、キャプテンとしてあるべき姿だったかと聞かれれば、それは未だに分からない。

 でも、僕は、笑うアンダースローの投手だ。

 最高に馬鹿みたいじゃないか。
 
 だから、僕は未だに野球が楽しい。
 

 
 
 
 おしまい。またね。

僕の書いた文章を少しでも追っていただけたのなら、僕は嬉しいです。