〈雑記〉物置きの匂いのついた鯉のぼりが空中で維持する何か、と石版について
はい。こんにちは。
鯉のぼりの季節はいつまでですか? そろそろ終わりですか?
広島に住んでいる僕は、どうも鯉のぼりの季節に敏感なようです。とはいえ、鯉のぼりが片付けられてからも広島東洋カープが勝つと嬉しいので、鯉のぼりが立ててあろうが物置に片付けてあろうが、僕にとっては関係ないのかもしれません。
ただ、広島に住んでいるから、「ああ、鯉のぼりの季節がそろそろ終わるなあ」という台詞を耳にする機会が多いだけで、すり込みのように脳が鯉のぼりの季節を意識させているだけでしょう。
そういえば、小説が書けませんね。
なんというか、ここしばらく、ポメラを開いても進むのはほんの数行で、先に進むことが出来ません。別に僕は小説を書いて飯を食ってるわけじゃないので、いいんですけど、なんとなく不安になります。
あの、正直に言うとですね、何か書きたい気持ちはありますし、その何かは何かのまま僕の中にあるんです。けれど、noteで文章を投稿するようになって、読むようになって、そして繰り返し、日々書き続けるようになって、僕は僕に対するハードルが上がってきています。
いや、「別に好きに書けばいいじゃん」なんでしょうけど、僕にとってはそれはつまらないことなんです。だって、ただ本当に、真に好きに書いているだけでは発展しないから。変わらないから。僕は基本的に新しいことが大好きだし、飽き性なので。
そりゃあ、ただ続ける良さってのもあるのかもしれませんが、僕は変化しないまま続く日常に、今とても嫌気がさしているし、疲れているので。
趣味の世界においては、せめて変化していたいんですよ。
だから、僕は小説を書くためにルールを覚えたり、文章を書いてトレーニングしたりしていたわけです。が、これって続ければ続けるほど、自分へのハードルが上がるんですよね。とても。
いや、別に僕自身が大したものを書いていると言いたいわけじゃないです。本当に亀の歩みです。ただ単純に、日々のハードルを越えるのがしんどいだけです。だって、日常生活だって、もう疲れましたもの。
ということで、やり方を変えて。
先日の文学フリマで知った文学賞用に何か書いてみることにしました。
それで、昨晩の数時間を一気に消費して、十五枚分の小説を書いてみました。思い立って書いてみたアイディアからは、一応文章が出てきたので、このまま募集要項に当てはまるように整えて、提出しようと思っています。
もちろん、そんなに簡単に何かを受賞できるわけは無いですが、単純にこれは僕がステージを変えたいという意志からの行動です。
なぜかというと、もう端的に言いますと「note用の文章」みたいな自分の雑記や小説を書くのに飽きていて、ちょっと嫌になったからです。
いや、別に、僕がnoteに向いていない文章をそもそも書いていたのは分かるんですけど。僕がここで言いたいのは「noteにいるカナヅチ猫」の文章を見るのに飽きたということです。
なので、新しい場所で書く僕の文章を僕自身で見たいがために、方針転換をするということで。
おそらくですが、以降、noteに掲載する小説は、供養のためか習作か、もう真に遊ぶために書いた何もないものにします。まあそうだとしても、読者の方の大切なお時間を使用いただくことにはなるため、それでも気は遣うのですけれど。意味とか価値とか、これまで以上にもっと無視します。
常々書いているように、僕の書いた小説は消費されるためにあるわけですから、最低でも読者が一人以上いた場合に成立します。つまり、noteに投稿するのは、僕が僕を消費されたいがためのわがままですね。それでも、自己顕示欲と、忘れられることの怖さに抗いたいがために、更新は不定期ながら続けるということでしょう。
それと、以前、ある著名な方の話を見て、いろいろ思うことがありました。
この時代のインターネット上のサイトや投稿は、ほんの数年、十数年すれば、広いインターネット上のどこにいったのか分からなくなるくらいに溢れかえっています。溢れかえったデジタルデータ達は、時が経ってしまえば、IDやPASSを忘れてしまえば本人でさえも見つけるのが困難になります。他者が何かの偶然の検索ワードで辿り着くなんて、それこそ確率は低いでしょう。
僕はこの事実に対して、単純に、とても単純に、寂しいという印象を受けています。
あ、以前言いましたが、この時代の若い人たちはデジタルデータで自分の写真等を多量に所持している場合がありますが、使い方や保存方法によっては、それこそ取り出し不可能な将来もあり得るわけです。
とまあ、そんなわけで。太古の人類が石版に刻んだ文字は残っているけれど、僕らのデジタルデータは非常に不安定なんですよね。この事実に、僕は少し不安を覚えつつも、同様に投稿は続けるのでしょう。いや、僕の場合は、石版に残すほどのものがまだ創れないので。
はい。そうです。「まだ」と言っておきます。
もし、何か石版に刻みたいものができたら、僕は喜んで、時間をかけても石を彫るでしょう。
いや、うーん、どうだろう。
もしも、僕の創るものに対して、最後まで「好き」と言ってくれるような読者の方がいたとしたら、その人に会って、その人と一緒になって、石版に何かを刻むかもしれませんね。
消費されるための小説を書いている僕にとって、それほどにまで、読者の方は大切であるという意味です。
それでは、今日はこんな感じで。
何もなく普通に終わるときもあります。はい。
おしまい。またね。
僕の書いた文章を少しでも追っていただけたのなら、僕は嬉しいです。