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『無限遠に光る』

 あと半年くらいしたら、私は夏の大三角形を嫌いになるかもしれない。

「僕、結婚するから」

「そう。おめでとう。式は?」

「冬くらい。来れそう?」

「日が合えばね。まあ、沙弥が来て欲しいって言うなら、私は行くかな」

夏の帰省で羽を休めている私に対して、わざわざ面と向かって結婚の報告をするなんてどういう心境なんだろう。遠くの街に住む私に、自分の遠距離恋愛を散々相談しておいて。

「あ、式はこっちでするからな。美里の休みが取れそうな日を選ぶよ」

「ん。私もたまには、年に何回か帰って親孝行するのもいいかな。まあ、いい機会ってことで」

「んん。よろしく。インターの近くに森の中の式場があったろ? あそこで挙げるつもりだ」

拓哉からの連絡は相談じゃなくて惚気だな、と思うことも多分にあった。拓哉と沙弥がうまく行ってない時期ももちろんあって、その時はそれぞれから連絡が来た。ただ、いくら拓哉が私の初恋の人であろうと、悪い方向に誘導しようとは思わなかった。
 例えば、沙弥と私の立場が入れ替わっていても、沙弥は同じようにしたと思う。私は名前のつかない三角形を維持するために必死だった。拓哉のあの夏の言葉の通りに。

「三つの点があったらさ、平面が一つ決まるだろ? 例えば、ウェイターがお盆を持つのには三本の指で十分なんだよ。それだけで安定するんだから」

「ん。それはわかるけど」

「だからさ、僕らも夏の大三角形みたいな関係でいいんじゃないかな。僕らは星たちの中で、特に輝いてるわけじゃないかもしれないけど。例えば、適当な三つの星を勝手に線で結んでも、それはルール違反じゃないだろ?」

「だから?」

「んん。まあ、モノの例えだよ。美里にはいつも助けられてるってこと。感謝してる」

拓哉の意図することは分かっていたけど、返事の仕方が分からなかった。初恋の男の人から言われる台詞としては、私にとってあまりにも重すぎたのだ。
 実際、私は拓哉の言葉をずっと妄信し続けていた。


 あれから今日まで三年の間に、私にも彼氏がいた時期があったけど、拓哉と沙弥には紹介しなかった。拓哉の言う三角形を崩したくなかったのか、決まってしまった平面に新しく加えるのが難しかったのかは分からない。
 それに、恋愛が長続きしない私が二人の相談役になっていたとして、果たして意味などあったのだろうか。

「で、今日はそれだけ? もう帰るんでしょ?」

「それだけじゃまずかったか? 美里には直接会って報告したくて」

「んーん。いいよ」

「夏の大三角形はこれからどうなるの?」と聞く勇気が私には無かった。星の行方を聞くという会話は、天変地異でも起きなければ発生することはない。
 私と仲の良かった拓哉と沙弥が結婚する。これは天変地異ではなく、単に契約が交わされるだけのことだ。


 秋が、夏の大三角形をどこかに連れて行った。
 それと同時に、拓哉と沙弥からの連絡は頻度が落ちていった。元々私の方から連絡することは少なかったし、見えない星たちに願うことなど私には何も無い気がした。

 冬になり、別の大三角形が夜空に登る。
 冬の大三角形の方が夏のものより正三角形に近いということを、拓哉は知っていたのだろうか。



 式の佳境で、沙弥はブーケを投げることなく私に手渡しした。涙ながらの沙弥が

「ありがとう、ありがとう。美里がいなかったら、私達どうなってるか分からなかった」

と言っていたので、私のいない二人を想像してみた。頭の中ではどの結末にも辿り着かなくて、私は涙を流さず笑っているくらいしかできなかった。
 その様子を眺めていた拓哉は同じリズムで拍手をしながら、生花で彩られたテーブルの向こう側から動かない。
「白のタキシードなんて絶対着ない」と言っていた拓哉が、「結婚式は新郎新婦二人で白い衣装がいいなあ」と言っていた沙弥と結婚した結果だ。ただその結果だけが色とりどりの花に囲まれて、一歩たりとも動かなかった。


 拓哉からのメッセージは夜が更けてから届いた。

“美里、今日はありがとう。沙弥の言ってたとおり、美里がいなければ今日の日は迎えられなかった。僕達は本当に感謝してるよ”

携帯の中の文字たちに対してさえ、私は笑っていることしかできないのか。皮肉の一つくらいすぐに出てくると思ったんだけど。
 実家の自室の明かりを全て消し、冬の大三角形を眺めながら携帯を握る。
 私たちの作る三角形のうち、二つの星はきちんと直線で結ばれたらしい。残る一つの星は正三角形を作れるような美しい位置には無いはずだ。もっともっと天高く、あるいは地平線のずっと下に。私達が作る三角形は、鋭角になり、歪になり、無限遠にまで伸びてしまったのかもしれない。

“私だって、拓哉と美里に感謝してるよ。二人がいなければ、私は| ”

そこまで書いてから、バックスペースボタンを押しっぱなしにする。ありもしない仮定の話なんて今はしたくない。

ポンッ!

携帯から通知音が鳴る。

ポポ、ポンッ!

躊躇いなくメッセージを開く癖は直らない。そのメッセージが拓哉からであろうと沙弥からであろうと、届く写真は変わらなかっただろう。

──スポットライトに当てられ白く輝く二人。その手はしっかりと繋がれている。

 ほら。
 三角形じゃなくても、綺麗なんだ。

 もしかしたら、三角形じゃなくても良かったのかもしれないし、三角形だけが綺麗なわけじゃない。そもそも私が拘ってるのは三角形という図形じゃなかったのかもしれない。
 ほんとのところは、まだ、何も分からない。

 だって、だって今私が見る冬の大三角形は揺れているから。震えて、ぼやけて、三角形なのかさえ分からない。ただ三つの光だけがぼーっと見えて、ふるふると揺れて三角形じゃなくなって、幾つもの光に増えて。
 そのうちの一つがどこかに走って逃げてしまっても、今の私ならたぶん気づかない。

 四角い窓の夜空から逃げてやる。冬にしか見えない空から飛んでいってやる。夏の空にだって見つけることができないくらい、遠くに。
 もし、逃げていった一つの星を見つけられるなら、直線の両端と結んでみればいい。きっと、見たことのない美しい図形だから。それはきっと、三角形以外の図形に違いない。

 私は手元の携帯の明かりさえも、その場に留まる一つの光として捉えることができなくなっていた。



(おしまい)

僕の書いた文章を少しでも追っていただけたのなら、僕は嬉しいです。