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一生実家暮らしかも知れない

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連載エッセイ「一生実家暮らしかも知れない」全20編をまとめました。ぜひ最初から読んでみてください。
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記事一覧

一生実家暮らしかもしれない その20

これまでのエッセイで、うつ病と診断されてからの私の人生を振り返ってきた。

我ながら実に色々なことを経験したと思う。

もし仮に正社員として働こうとしても、履歴書が穴だらけで難しいだろう。
また疲れ果てて辞めざるを得ない可能性も高い。

社会人になってからの間は本当に苦しかった。
「何でこんな目に遭わなきゃいけないんだ」と運命を恨んだ。

でも今となればそれも自分の視野を広げる為の試練だったのかな

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一生実家暮らしかもしれない その19

この連載の最初の方でも書いたが、私はコロナ禍になって「仕事しかない」毎日に耐えきれずに働かなくなった。
最後に働いた所では1ヶ月しか持たなかった。

何の楽しみもなく、ただ同じことを繰り返す日々。

社会から切り離され、自分が必要とされなくなったようでそれが1番しんどかった。

昨年ADHDの診断がおりた。
今では治療薬を飲んで過ごしている。

ADHDは人によって症状が大きく異なるが、私の主な症

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一生実家暮らしかもしれない その18

仕事はその年に辞めてしまった。

業務をこなすのがきつかったのと、人間関係でも色々あったからだ。

でも3年半同じ仕事を続けられたことは自信になった。

よく「3年続けて一人前」というがそこまでできたことが今までなかったのと、その業界一生一筋ではなくとも、ある程度のレベルの仕事は出来るようになったからだ。

その年は年末まで好き勝手に暮らした。
成人式の後撮りをしたり、ライブに行ったり。

来年は

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一生実家暮らしかもしれない その17

休職期間を終え、主治医のゴーサインをもらってから再び働き出した。
しばらくは順調に働いていた。

1年か2年ほど経った頃、業務内容が変わった。
今までやってなかったこともやることになり、その日出勤してみないと今日何をやるかわからなくなった。

その中の一つにとても苦手な仕事があった。
飲食店の時もそうだったが、同時並行でやらなければならないことだった。

一つのことに集中すると、もう一つの方に集中

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一生実家暮らしかもしれない その16

転職してからしばらく経った冬の頃、私はプライベートの人間関係がごちゃごちゃになり先生に「躁うつ状態になっている」と言われた。

そこから1ヶ月間、診断書が出て休職せざるをえなかった。

躁うつはこの時に初めてなったのだが、簡単に説明すると徹夜ハイとうつ状態が交互に現れる病気だ。

一番厄介だったのが、寝て起きると躁とうつが入れ替わっていることだった。

目が覚めるたびに真逆の自分がいる。

それに

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一生実家暮らしかもしれない その15

飲食店のアルバイトは人手が足らず、フリーターの私はどんどんシフトに入れられていた。
心も体も持たなくて1年で辞めてしまった。

しばらくはダラダラとした生活を送っていた。

ある日、物流業界の求人を見つけた。
人やモノの流れがどうなっているのか以前から興味があり、一度はやってみたかった。
早速電話をし、面接を受けて無事に受かった。

ここから私の職歴史上最長となる物流業に3年半従事することになった

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一生実家暮らしかもしれない その14

その年の冬に飲食店のアルバイトを始めた。
もちろん、何かしなくちゃという焦りからだった。

学生の時にも飲食店で働いていたので仕事を順調にこなせると思っていた。

ところが同時並行の仕事ができなくなっていた。

例えばもうすぐ料理ができそうな時に、一緒に持っていくドリンクを作り忘れてしまったり、お会計やご来店が重なるとどちらを優先したらいいかわからなくなってパニックになっていた。

一度ミスをして

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一生実家暮らしかもしれない その13

初診からは処方された薬の効果を確かめるために1週間に1回通院していた。

当時の私は人間関係に悩み苛立っていて、診察の度にその人の愚痴を言っていた。

学生生活も終わり、仲間はそれぞれの道へ進んでいき、私は話し相手というものを失いつつあった。

だから診察で先生にばかり愚痴をこぼしていたのかも知れない。

この頃は同時に「働いてお金を稼がなきゃいけない」という焦燥感に駆られていた。

家に毎日いて

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一生実家暮らしかもしれない その12

初めて病院に行った時は、今のように初診の予約はいらなかった。

中に入り「初めてなんですけれど」と伝えると、「こちら18歳以上の方が対象の精神科ですがよろしいですか?」と聞かれ、はいと答えた。

でかでかとした問診票を書き、受付に出して座っていた。

しばらくして名前を呼ばれ、診察室に入った。
そこには短髪にメガネの、背の高いおじさん先生がいた。

今の状況や困っていることなどを話したが、自分でも

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一生実家暮らしかもしれない その11

1ヶ月ほど寝たきりの生活を続けた後、きちんと病院で診てもらおうと考えた。

とはいえ前回のようなメンタルクリニックは懲り懲りだ。

色々と調べた結果、住んでいる地域の相談窓口に電話しようということになった。

布団に入りながら電話口で状況を説明し、「どちらにお住まいですか?」と聞かれた。
どこどこです、と答えると通えそうな病院を2カ所紹介してくださった。

どちらに行くか悩んだが、最寄りから電車1

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一生実家暮らしかもしれない その10

結局その後、2回に渡って話し合いが行われた。

最後の話し合いの時に「福利厚生いいのに」とぽつりと言われたが、もうそんなことはどうでもよかった。
とっくにこの仕事と会社が嫌になっていた。

正式に退職届を出し、大学卒業からわずか1ヶ月でプー太郎になった。

家ではずっと寝たきりの生活が続いていた。

自分でもその頃のことはよく覚えておらず、自力でトイレぐらいは行っていたと思うが洗面も入浴もままなら

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一生実家暮らしかもしれない その9

その後、配属先の上司と二人になる機会があった。

二人で外回りをし、途中喫茶店で休憩をした。

どういう流れだったかはよく覚えていないが、とにかく私は仕事をやめたいとつっぱね、気がついたら泣いていた。

「もうそのさっちゃんの気持ち、私には止められないから」

そう答えた上司も泣いていた。

何日か後に、部長を交えて話し合いをすることになった。

一生実家暮らしかもしれない その8

次の日から私はアイボリーのフリルブラウスにピンクのジャケット、黒のスキニーに黒のフラットパンプスで出勤した。

勤めていた会社は、2年目までは研修センターでみっちり教え込まれ、3年目から独り立ちするという仕組みだった。

私はその研修センターが嫌で仕方なかった。
だから毎日配属先に来てもいいと言われた時に心底ほっとした。

そこの上司はよく話を聞いてくれ、丁寧に教えてくれた。

しかしそこでも上司

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一生実家暮らしかもしれない その7

水曜日頃まで仕事を休んでいると、部長から電話がかかってきた。

休んでいる間は有給が消化されているということと、今後のことを話し合いたいということだった。

約束の時間に決められたレストランへ行った。
一般のお客さんも利用している、ごく普通のレストランだった。

そこには部長、直属の上司、配属先の上司が待っていた。

全員が揃うやいなや、私はこの会社や仕事の何が嫌かをぶちまけた。
そして人目もはば

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