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「アイデンティティ」という言葉について考える

「アイデンティティ」という言葉との出会い

「アイデンティティ」という言葉は、私が高校生の頃現代文の授業で初めて聞いた言葉だと思う。
現代文の授業では、今までの生活では聞き慣れない言葉を学んだ。もう10年以上前のことだから覚えていられないけど、「カタルシス」とか「カオス」とかもその頃覚えた言葉だ。


「アイデンティティ」の意味

さてタイトルにある「アイデンティティ」とは、日本語で表すと「自己同一性」となるのは条件反射のように覚えているが、もっと噛み砕くと「自分らしさ」となると思っている。高校生の頃、自分がよくわからなかったから、自分のアイデンティティとは何なのだろうかと思いながら過ごしていた。社会的にみた私は6人家族で、4人兄弟の末っ子。それ以外なんと説明すればいいのか分からないのである。

自分のアイデンティティについて、過去を振り返りながら考える

中学校の卒業文集では「彼女はとても自分を持っている」と友達に書かれたこともあったのに、自分としては「自分とは何者なんだろう」と考えていた。友達がなにをもって、「自分を持っている」と感じたのか知りたいけど、そんな友達とは疎遠になってしまった。

今考えると、電話が好きで電話料金が高額なため、親に怒られることがしょっちゅうあった。
高校生の頃友達にプレゼントであげた靴下がきっかけで、誰かにプレゼントするだけでなく自分の靴下の収集にもハマった。今では靴下屋のアプリで新作の靴下を見たり、旅行に出かけたら出先でだいたい靴下を買い足したりしている。いい背景や人と一緒にいたら写真を撮ることもある。
さらにアイデンティティと共に自分の趣味が分からなくて始めた、果物柄の雑貨集め。(どうぶつの森のフルーツの家具集めに影響されて)こちらも現在まで続いている。

結局自分のアイデンティティとは

そんな風にアイデンティティは形成され、2人程度の少人数の人と話すこと、靴下や果物の雑貨集めなどは私のアイデンティティだと思う。

こぼれ話

今日は職場の人の靴下を見て素敵だなと感じたところから、「アイデンティティ」の話をしてみました。
アイデンティティに関連する「何者」という言葉についても、いずれは何か書きたいと思っています。

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