「地方創生の前に、まずは自分創生」/地方創生のカリスマ&ロールモデルが口を揃える「自分のため」、そして震災の話
「自由人大宴会」とは言うけどさ、今回のゲストは総務省地域力創造アドバイザーもつとめる地方移住総合雑誌TURNSプロデューサーの堀口正裕さんと、2025年大阪・関西万博で兵庫県が総力を挙げて展開する「ひょうごフィールドパビリオン」アンバサダーとして知事と肩を並べてパレードする播州織ブランドtamakiniime代表の玉木新雌さんだ。しかも初対面。
さすがに、場が温まって過激な発言が飛び出すには、ちょっと時間がかかるだろう。
■ 「実は、地方創生という言葉は嫌いです」
……って堀口さんが開口一番、言い切っちゃったよ。おいっ!
パンチ効いてますやん。それに対して、伝統の播州織を再興し、「地方創生のロールモデル」と称えられることが多い玉木新雌さんは、どう返すのか。
■「『誰かのために』と思うと、折れちゃう」
まじっすか。
いや、でもたしかに、この日1日通して、玉木新雌さんはずーっと楽しそうだった。イヤなこと我慢してたり、清濁併せ呑むんだぜと思ってたり、賢く振舞おうという下心が少しでもあったら、ぜったいに出ない笑顔。自分を一瞬だって欺いていないことが、全身から伝わってきた。
■ そしてディナーショータイム突入。
いよいよ後半は、自由人大宴会ならではの楽しみ、「ゲストが飲み会の自分のテーブルにやってくる」ディナーショータイム。
さて、時間ですよー! ゲストのみなさん、舞台に戻ってきてねー!
…と冷静にふるまいつつ、実は私はトイレに立つふりをして、こっそり首に巻いていたtamakiniimeショールを、頭に巻きなおしていたのだ。あのほら、こういうやつ? ↓
しかし、誰も一言も突っ込まないまま、スムーズに会はエンディングへ進むのでした。
■ それぞれのかたちで、まちを思う。
堀口さんが昨日まで訪れていた、福島県飯舘村の杉岡誠村長の言葉と行動の話。住民登録数よりも、ずっと少ない居住人口。でも離れた人たち、帰りたくても帰れないひとたちが、それぞれの形でまちに思いを寄せている。村長はそんな「それぞれ」、いろんな関わり方を、すべて肯定している。
そのひとつが、堀口さんがお土産にもってきてくださった「飯館」というお酒。
これは、飯舘村で酒米作りをしていたけれど、東日本大震災で喜多方市に移住した農家さんが、喜多方で酒米作りを再開し、飯舘に思いを馳せてつくったお酒なのだという。本当に美味しかった。
町長は、震災前の元の状態に戻すのではない、と話したという。この土地を思うさまざまなひとたちと、ここからもう一度新しく、まちをつくっていくのだ、と。(※酔っ払いの又聞きの話の、酔っ払いのうろ覚えなので、文責はすべて湯川にあります)
きっと、そんな本当の「地方創生」に、ロールモデルなんてない。単に、その土地にかかわっているひとたちの「本気」が集まって、「そこだけのもの」ができていくのだろう。それが、風土になり、郷土になる。それはおそらく、どこにも似ていない。
そういえば、この会の冒頭、参加者のみなさんに「あなたはどこから来ましたか?」と聞いてみたのだった。
壇上の堀口さんは北海道生まれ、玉木さんは福井生まれ、私は長崎生まれ。会場で神戸出身者は3、4人だった。すくな!
実は神戸もまた、28年前、阪神・淡路大震災という未曽有の災害でまちが壊滅した地区もある土地である。この日の乾杯酒を提供してくださった、日本一の酒処・灘五郷を代表する白鶴酒造も、激震地区であの高速道路が倒れた東灘区にあって、歴史ある酒蔵が倒壊している(その後再建)。
水道もガスも止まった1995年の1月中旬、凍てつく神戸。白鶴酒造は、自社が瓦礫と化すなかで、山から直接引いていた酒造りのための天然水、そして酒を仕込むためのボイラーを使ってなんとかお風呂を沸かし、近隣の人々に開放した。あの時の、久々に浸かったお風呂の温かさは決して忘れられないという人が、地域にはたくさんいる。きっと温かかったのは、それを実現させた人たちの……いや、そういうことを軽々に言わないけどね。
神戸のひとたちは、たぶん知っているのだと思う。ここを思う人たちが流してきた汗だけが、その人がより幸せに生きられる地域をつくることを。だから、私たち”よそ者”も受け容れてくれるんじゃないかな。
会の最後、これからそんな「未来」をつくっていく学生に、話を聞いた。
うん!
やっていこう!!
いつでも、ここから作れるんだよね。「私の地方・創生」。
ご参加いただいたみなさま、(放送禁止Fワードと”ここだけの話”満載の)シンポジウム(=ギリシャ語の語源的に「飲み会」)をご一緒に楽しんでくださって、ありがとうございましたー!!
また会おう!
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