見出し画像

いかに正気を保って生きるか。/ひとり官民連携、兵庫県広報官(アドバイザー)5年間を振り返る

私の社会人生活は、現場に2人しかいなかったYahoo! JAPANの立ち上げからスタートし、その後はスペインで10年間フリーライター、帰国してからは個人事業からうぶ毛が生えた一般社団法人代表という、いわば「人生ゲリラ戦」だった。

それが、官民兼業(複業)の公務員として、2018年度から22年度末まで5年間、兵庫県広報官(のちアドバイザー)をつとめることになった。人生って不思議だね。
というわけで、この期間にやったこと・やれなかったこと・考えていたことなどを、振り返ってみます。官民兼業を検討中の方や、行政広報にかかわる方の参考になりましたら幸いでっす。


■1.「用意された心地よさ」との、勝負 

▶ 前例踏襲せず、忖度せず、空気を読まずに。

スペインから帰国後、起業して経営破綻して離婚してシングルマザーになった体験から「ひとりじゃ生きていけない!」と強く感じた私は、神戸を拠点に、主婦や学生の社会参加支援・創業支援・共助コミュニティづくりを行ってきた。
その縁で、2017年度の兵庫県「新たな広報戦略検討委員会」有識者委員になり、翌年度、当時兵庫県では初の試みだった民間兼業(複業)の「広報官」になった。

ずっと草の根で「政策立案の場に声が届きにくいひとたちの社会参加支援」をしてきた私にとって、官民協働は悲願。イッツマイドリーム。みんなの声を届けられる大チャンス。やりますやります、喜んで!


登庁初日の記者会見では、「知事からは『好きにやって』といわれている。忖度せず、空気を読まずにやりたい」と意気込んだ……らしい(産経新聞記事)。だって、「そうじゃないと、民間から来た意味がない」と思ったからね。
そして私は、「県民の反応を取り入れる必要性を訴えた」そうだ。うん。私がやりたいことは、一方的な発信ではなくて、「協働」だから。


▶わりと現場を混乱させたらしい。

ところで、それまで組織に縁がなく、40歳超えてから友人にこっそり「あの、課長と係長って、どっちが上なん?」と聞いたりしていた私はぜんぜん気づいてなかったのだけど、「広報官」というのは単なる職業の名称ではなく、組織図的に「副知事の下のひと」という意味もあるらしかった。

たぶんそれもあって、変にちやほや?された。最初、別室を用意しますと言われていたけど「いやー、現場のみなさんと一緒に広報やんないと、わかんないんで!」と、広報戦略課で職員さんたちと机を並べるかたちで席をつくってもらった。そんなこと前例なくて、わりと現場を混乱させたらしい(でも、そうして本当によかったと思っている)。

とはいえ、「この事業について知りたいので、担当課に話聞きに行きたい」と話すと、「広報官が行くと先方が混乱するので」と、職員さんたちがどこからでもこちらに説明に「あがる」仕組みになっていた。これは、ライターの取材と同じで、現場に行くことにこだわり続けてもよかったかもしれないな。

<席を置いてもらった広報戦略課。2018年>


▶やばい、気をつけないと。この心地よさ。

というわけで、登庁初日。たくさんの職員さんたちがレクに来てくれて、お昼にはなんだかお弁当も取りまとめてくれて(※もちろん自腹です)、よくわからないけど妙にちやほやされた感覚で1日が終わった。

17時半のチャイムが鳴った帰り道、桜の花びらが落ちてくる県庁の正面階段を下りながら「やばい、気をつけないと。この心地よさ、なんか権力の魔力」と、気をぎゅうっと引き締めたのを、めちゃくちゃ鮮明に覚えている。

その後も、幹部会議や議会の委員会では最前列に席があったり、出席者として最初の方に名前が呼ばれたり。ここではひとつひとつが、「序列」を意識させる仕組みになっているのだった(←会社組織だと普通?)。その度に心の中で、「私はここではオノラリー・ホワイト(「名誉白人」/アパルトヘイトの南アフリカでの日本人の地位の呼称)やで」と、自分に言い聞かせていた。

自分が偉くなったと思ったら、おしまいな気がした。こいつは、「用意された心地よさ」との、勝負だぜ。私はここで、正気を保って、ちゃんと仕事をすることができるだろうか? 大事なのは、委託された仕事をまっとうすること。県と県民の「あいだ」に立って、協働を進めることだ。

<当日のFacebook投稿。コメントの多くが「すごいね、勇気あるね、兵庫県」だった。おい!>



■2.広報官のお仕事

▶「県職員オール広報パーソン化」3ヶ年計画を立てた。

広報官の仕事は、「①統一コンセプトの提示 ②広報紙やテレビの県政情報番組等の広報媒体制作、SNS等による効果的な情報発信など、県のイメージアップ戦略に対する指導 ③県重要施策の戦略的な情報発信への助言」の3つだった。要は「何をしたらいいか、どうしたらいいか、職員ができるよう一緒に考えてやってみて、モデルも示してね」ということだろう。

ただ、行政広報には大きな特徴がある。広報って企業ではほぼ専門職だけど、数年で異動がある行政では、広報課の職員でも専門的な知識や経験がないことがほとんど。さらに、基本的に「自分が担当する事業の広報は、自分でする」仕組みである。とすると、すべての職員が広報パーソンになるしかないではないか。

というわけで、まず「県職員オール広報パーソン化」3ヶ年計画を立てた。

<これは2020年秋に振り返って実施内容もまとめたもの。
当初はもう少し粗めのプロセス設計をした。>


▶150年目の「廃県置藩」、兵庫五国連邦(U5H)を始めた。

広報上でこりゃやばいなー、と思ったのは、職員さんに「何のためにその事業をしているのですか?」と聞いたら、「前任者からの引き継ぎで」という答えが返ってくることが、ままあったから(当時)。おおう。「やりたくてやってる」個人事業主に囲まれて生きてきたので、想像もしない答えだった。

広報とは、本体である事業がその目的に到達するために、様々なひとと良い関係性(Public Relations)をつくっていくことだ。なので、事業目的をあいまいにしたままでは、ぜったいに広報なんてできない。……えっと、職員さん、自分が担当してる事業もだけど、そもそも兵庫県という”事業”の目的って考えたことあるだろうか? 企業でいうところの、いわゆる「パーパス」ってやつ。

ちなみに地方公共団体のパーパスは、地方自治法第1条の2に書いてある(知らなかったので調べた)。

地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。

(地方自治法第1条の2)

地方公共団体は、「住民の福祉の増進(=住民がもっと幸せになる)」のためにある。とすると、兵庫県は何をすべきなんだろう? 少なくとも、無邪気に「県のPR」ではないんじゃないだろうか。

よーし。せっかくだから、いちど兵庫県をなくしてしまって、「いったい兵庫県とは何なのか、兵庫県は必要なのか、もし必要ならどんな役割を果たせばいいのか」を、それぞれ考えてみたらいい。そう思って、ちょうど県政150年目だったので、廃藩置県ならぬ「廃県置藩」を行うことにした。これが、「兵庫五国連邦(U5H/United 5KOKU of HYOGO)」プロジェクトのスタートだ。

<だって誰も「兵庫県民」って思って暮らしてないんだもん。記者発表時の会見室>


U5H特設サイト(継続中)

<「県民主役」「地域主導」という兵庫県の新しい広報ビジョンを具現化。>
<投稿ネタを中心に様々な企画を展開していく、プロジェクト型広報のモデルとなるよう設計。>



▶「協働の広報ガイドライン」をつくった。

  • 毎週月曜午前は「全庁広報会議」と題して、オープンに広報相談を受け、遠隔地もふくめ誰でも見られるようオンラインで配信した。相談時に職員さんがおのずと事業整理できるようになる、オリジナルのフォーマットもつくった。

  • 毎年、全職員の約10%に対し、広報研修を行った。研修では、新任職員対象に広報マインド、担当職員対象に事業整理の方法や具体的広報デザインスキル、管理職対象に時代の変化と広報による組織マネジメントなども伝えた。なんせ「広報、使えるじゃん」と思ってもらうところからスタート。

  • 2週に1回は、インナー広報として、質問受付型のメールマガジンを発行した。「幸せにすべき県民は、この建物の中ではなく、外にいる。いつも窓の外を見て」と伝え続けた、つもり。


こうして1年間で300以上の広報相談を受けると、さすがに典型的なパターンがわかり、ある種のセオリーも見えてきた。これらをまとめて、『協働の広報ガイドライン』という赤い冊子にして本庁の職員さん全員に配布した。

ポイントは、すべて兵庫県で実際にやった広報制作物の解説であること、事業整理やカスタマージャーニーマップなど具体的ノウハウもありつつ「なぜ自治体に広報が必要なのか」まで遡って考えていること、パラパラ見るだけで楽しいページ構成にしていること、職員座談会で「何言うとんねん、と」「課長がポイント」などの本音も語ってもらっていること…かな?

<冊子バージョンの表紙。左側の黒い縦のラインが背中になる>
<兵庫県職員採用ポスター、阪神・淡路大震災25年ポスター等の「裏側」を解説したページ>
<事業整理など、いわゆる「広義の広報デザイン」から解説したページ>
<広報マインドのところを語る「紙上研修」のページ>


※念願かなって、オンライン版で全ページ公開中
もしご関心あったら、どぞどぞ。
なにか役に立てばめちゃくちゃ嬉しいです。


うん。心血注いだ。民間人(←なんだよ、この言い方)として、行政の中から「官民協働」を進められる大チャンスだもん。公務員としてちゃんとクリーンであるように、信号無視すらしないように身辺しっかり整えながら、本当にできる限りのことをやった。断言できる。

<U5H広報官としてコスプレで登場とかも厭わなかったし>
<大阪のヒョウ柄の聖地にも乗り込んだりしたよ>



■3.できたこと・できなかったこと

<県民だよりひょうご、トップ記事は「県民」が登場する企画と体裁に大幅変更>


▶そして、コロナがやってきた。

2年目の終わり。ちょうど広報ガイドラインの完成のめどが立ち、その情報をもって上京して、日本広報協会や、前の職場(Yahoo! JAPAN)の同僚で東京都副知事になった宮坂学さんなどと情報交換をしてきた直後に、新型コロナウィルスの流行がはじまった。

兵庫県ウェブサイトのアクセス数が、過去に例を見ないほどに跳ね上がった。県の広報の正念場は、突然訪れた。

すでに東京でコロナ対応を始めていた宮坂さんから「兵庫県でもこういう準備をしておいた方が良い」と話を聞いたり、その後オープンソースで「東京都新型コロナウイルス対策サイト」をつくるCode for Japanの関治之さんから構想とプロセスを教えてもらったりしていた私は、そのイメージでの対応を兵庫県に持ち込もうとした。だけど混乱の中で、思うようにはいかなかった。

ウェブサイトは、同じく民間兼業の編集デザインディレクターやメディアディレクターの力で、少しずつ良くなっていった。でも広報戦略立案を担当する私の”大きな”提案は、担当課の職員さんたちが極限状態でなんとか対応を続ける非常時には、検討される余地はなかった。記者発表や知事動画へのアドバイスはいくらか反映されたとはいえ、まちでは当時、県の広報に苦情しか聞かなかった。あぁ「広報官」という名前が恥ずかしいな、悔しいなと、毎日思っていた。振り返れば、この時もうすっかり「兵庫県のひと」になっていたのだと思う。


<「県民が主役」を押し出したリニューアル後の兵庫県ホームページは、
2022年全国広報コンクールで都道府県で唯一、総務大臣賞受賞。>


▶自分で広報官事業を検証。

3年目はもともと、県職員だけで広報を実施し、自ら効果検証して改善していくための環境整備を進める予定年度。対面でできない相談や研修はオンラインにし、さらに「広報官動画チャンネル」を立ち上げ、オンデマンド研修コンテンツとしていつでも活用できるようにした。

そして、「効果検証」のカルチャーを行政に入れたいとずっと考えてきたこともあり、自分で広報官事業を検証することにした。「広報」も「EBPM(根拠にもとづく政策立案)」も、「行政がひとりよがりにならず、住民と協働でやっていく」という目的、たぶん同じなんだと思うんだよね。

<2018年に設計したロジックモデル>


内容は、プロセス(できたこと・できなかったこと)、ロジックモデルに基づく評価・課題・改善案、新型コロナウィルス対策についての特記、後任の広報官ほか関係者に引き継ぐための次年度への提言など。関連するデータを集め、アンケートやインタビューなども行って、全62枚のレポートが完成した(←誰が読むねん! というわけでサマリーもつくったよ)。


▶自身の仕事に、意義とやりがいと誇りを。

レポートをまとめていて、いちばん意外で嬉しかったのは……いや「そうなるように願ってやってきたけど、実際にそれ以上の結果が出ていて嬉しかった」のは、「誇りややりがい」の部分だった。

自分でやってみてわかったけど、公務員の仕事は、なかなか誇りをもちづらい。何も問題なくうまくいっているときは感謝されず、でも鳥インフルの鶏の処分とか災害時の対応とかは最前線でやるのが「当たり前」で、なのに住民の声として直接触れるのはほとんど苦情。だからといって、外部に「感謝」を求めるのは違う。自分の中に、静かでたしかな矜持を持ち続けることが、すごく大事だと感じた。

さいわい広報は、事業の目的を明らかにしてくれる。自分がしている「名もなき仕事」で、どこの誰がどう幸せになるのか、明確にイメージできるようになる。それがきっと、「褒められることのない」自分を支えてくれる。

日本は先進国のなかで、「働き甲斐」がダントツの最下位。縁あって一緒に仕事をすることになった公務員のみなさんには、「前任者からの引き継ぎ」とかではなく、自身の仕事に意義とやりがいと誇りを見出してほしかった。だってそうじゃないと、自治体が広報するすべての事業の最終目標である「住民の幸せ」まで到達しないから。

なので、広報を通じて、8割の職員さんが「仕事に誇りをもてたり、やりがいを感じられるようになった」というのは、とても嬉しい結果だった。仕事をするのは、どこまでも、現場にいる「人」だもんね。

<問:「県民の幸せを実現する」兵庫県職員として、
仕事に誇りをもてたり、やりがいを感じられるようになったか>



■4.一緒にやっていこうぜ!

▶兵庫県の広報は変わっただろうか。

2021年度は、「広報アドバイザー」として、より俯瞰的な立場から県広報にかかわる打診を受けた。かなり迷ったけど、「県民との協働」を続けたくて引き受けた。席は、広報戦略課の隣の個室に移った。(でも、Adobeのソフトウェア入れたPCと会議用テーブルを置いて、「ご自由にお入りください」のクリエイティブ・ルームとして開放した)

知事が変わった2022年度も、継続の打診を受け、体制が変化するなかで引き継ぐこともあるだろうと引き受けさせていただいた。ありがたいことに2023年度も依頼を受けたのだけど、もう私がすべき仕事はないと思ったので、辞退させていただいたところでっす。


5年間で、兵庫県の広報は変わっただろうか。そうだったら嬉しいな。

大事なのは見た目とかデザインとかの変化じゃなくて、「なんとなく兵庫県、がんばってそうだし、悪いやつじゃなさそうだから、一緒にやってもいいな」と思ってもらえるようになり、そして一方で兵庫県職員さんたちもまた県民のことを信頼して「一緒にやっていこうぜ!」と心底思えるようになること。そうだったらいいなと、心から願う。

広報というと前者の「伝える」ばかり注目されがちだけど、後者の「実体」がないと、「協働の広報」なんて詐欺になっちゃうからね。


▶私は「正気を保つ」ことができ続けただろうか。

官民兼業の私として、「正気を保つ」第一は、「組織の中の人にならないこと」だった。中の人になってしまったら、私の立場の意味がない。

なのに、「兵庫県を、客観的に見づらくなってきた」のは、明確に感じている。私は仲間を好きになりすぎる癖がある(ゲリラ的には仕方ないのかもしれないけど)。立場的に、ほんとうは、どんだけ組織内にハレーションを起こしても、最終受益者である県民のことだけを考えてまっすぐに進むべきなのに、職員さんたちひとりひとりの努力や苦労や苦悩を間近で見すぎた。

結果、「県民へまっすぐ」行くべきところ、回り道を選んだり、そのために時間切れでたどり着けないことも出てきたかもしれない。これは、あかん。それならこの仕事は誰か、「前例踏襲せず、忖度せず、空気読まないっす!」と言い切る元気な人がやった方が、絶対に良い。

もうひとつ、私にとって「正気を保つ」第二は、「権内と権外を取り違えないこと」だった。これは、友人の吉川浩満さんが教えてくれた古代ギリシアの哲学者・エピクテートス『人生談義』に出てくる言葉で、「自分がコントロールできるもの/できないもの」という意味(※詳しくは、吉川浩満さん・山本貴光さん共著『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』(筑摩書房)をどうぞ!)。

対行政にかかわらず、他者に対するとき私の「権内」は、「相手との関係性を変えること」である。一方で「権外」は、「相手を変えること」である。だけどコロナ時期の焦りから、私は兵庫県という組織自体を、広報の枠を超えて、もっと早く変えたいと強く願うようになってしまった気がするな、振り返ると。

たぶん、兵庫県が自分事になりすぎたというか、距離が近くなりすぎたのだろう。これでは県民との協働をまっすぐに進めるための足が止まってしまう。それでは私がここにいる意味がない。

ということで、広報アドバイザーの仕事を終わらせていただくことにしました。力不足は否めないけど、やれることはやり切った!

<先週、広報アドバイザー室(クリエイティブ・ルーム)にて>


▶それぞれ誇りをもって生きられる社会を、みんなが力を合わせてつくる。

以上、まるで自分の手柄みたいに書いてきたけれど、これは同じ民間複業の編集デザインディレクターやメディアディレクターなど専門的知見をもつ方たち、そして共に広報に取り組んでくれた県職員さんたち、みんなで作り上げたもの。

もしも私ひとりだったら、こんなことできなかった(これは、スポーツ庁に民間から来て広報をしていた方とも「民間からの複業人材が孤立しない重要性」として話したことでした)。

いい仕事をさせていただいたことに、心よりお礼を申し上げます。本当にありがとう!


私が一生を賭けてやりたいのは、「それぞれ誇りをもって生きられる社会を、みんなが力を合わせてつくる」こと。中高生を中心とした産学官民協働のソーシャルイノベーションの取り組みをしたり、大学生向けに市民協働参画論やビジネスプラン構築概論を教えたり、主婦を含む個人事業主の創業支援や複業メンバーが集まる共助コミュニティを運営したり、ぜんぶその目的のためにやっている。

「産学官民」(「民産学官」と言い換えてくれたデータ利活用検討委員会のみなさんありがとね!)といってもいいし、「多様なステークホルダー」といってもいいし、「ダイバーシティ」といってもいいけど、とにかくもはや「シャバにいるみんな」で力を合わせないと、自分ひとり誰ひとり幸せになんかなれない社会になっている。

だから私は「協働」の企画立案をするし学ぶ場をつくるし、「協働」のコーディネートをするし学ぶ場をつくるし、「協働」の広報をするし学ぶ場をつくる。

今回、兵庫県で広報を通じて「協働」を少しでもかたちにしていけたこと、県職員のみなさんが「協働の広報」に意義を感じ、やってみて、自分の仕事の目的を再確認し誇りを感じてくださったことは、いち県民として、ほんとうにありがたいことでした。

5年間、関わってくださったみなさま、ありがとうございました! 
さあ、人生はつづく。協働を、つづけよう~



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?