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#ウェーバー

資本主義的な生―—ウェーバー『プロ倫』2章後半

ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んできた読書会、今回は最終部である2章の後半が対象範囲でした。 ルター派以降の「禁欲的プロテスタンティズムの担い手」としてウェーバーが挙げた4つのグループのうち、カルヴィニズムを解説したのが前回。今回は残りの3つ(敬虔派、メソジスト派、洗礼派運動から発生した諸信団)の特徴を説明したのち、4つのグループの特徴が合わさって、現代資本主義を形づくっていく過程が描かれています。 改めてざっくりした流れ まず、本の前半も

歴史を追い、言葉を追い、空虚な資本主義を追う

感情に振り回される僕が最近思うのは、やっぱり自分のことだ。 最近僕はようやく、自分が感情に振り回されることを意識し始めた。例えば「消えたい」とか「いなくなりたい」とか、そういうことを考えることは明らかに感情に振り回されている。そういう風に感情に振り回される時は、なぜそういう考えを抱かなければならなかったのか、その状況から整理を始めるのが良いそうだ。疲れているからだ、とか、仕事がつまらないし先が見えなくて不安だからだ、とか。 なんでこういう風に感情に振り回されるのを自分で許して

マックス・ウェーバーについて

今回はウェーバーの入門書である、野口雅弘『マックス・ウェーバー 近代と格闘した思想家』を読んだ。その感想を記す。特に、読み込むのに大切なイメージをまとめたい。 (なお以下の引用はKindleより。「l.」はロケーションの略。) ウェーバーのキャリアがどこの時点からスタートしたのかについてから考え始めたい。彼の研究の特異点は父親の死ではないか。そこから彼の思想的な軸が開花してきたのではないか。 父親の死を契機として出てきたウェーバーの病が、彼にある考えをもたらしている。それは

近代の脱構築――野口雅弘『マックス・ウェーバー』を読んで

 今回の課題本は、2020年に中公新書から発売された野口雅弘『マックス・ウェーバー』でした。ドイツの社会学者であるウェーバーの代表作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む前に、入門書から入って背景を知ろうということで選書されました。  野口の本には、「近代と格闘した思想家」という副題がつけられています。この記事では、「近代との格闘」という言葉が意味するものを、自分なりに整理したいと思います。 格闘とは脱構築すること  といっても、ウェーバーは社会を転覆させよ