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金谷ホテルのお宝 「メニュー」編 2

「牛肉平和煮」とはなんだ?

私たちがメニューをにらんで想像しても、お皿の上にどんな料理が乗っていたのか全く想像できません。

料理のことで質問がある時は伊藤光雄名誉料理長に聞くしかない!
伊藤名誉料理長は昭和43年入社、50年料理一筋、ホテル自慢のコックです。

ディナーの準備のため、早めに厨房に戻っていた名誉料理長を捕まえ質問したものの
「う~ん・・・・・・・。   聞いたことないな、分からない」

そりゃそうです。
名誉料理長がいかに半世紀を超え厨房に立ち続けているとしても約百年前、大正時代のメニューの話ですから。

ただヒントはいただきました。

1.料理長が変わったタイミングで自分色をだすメニューを作るものだ。
 何代目かの料理長がトライした料理かも。

2.オーソドックスな料理でもアレンジして別の名前を付けたりする。
 なにかのアレンジ料理かも

ということで、まず代々の料理長ののことを調べてみることにしました。

金谷ホテル歴代料理長たち


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金谷ホテルにはこれまで12人の料理長と3人の総料理長がいました。


初代料理長になった渡部朝太郎(わたべあさたろう)は明治19年、16歳でホテルの前進「金谷カテッジイン」で料理の手伝いをはじめ、2年後の明治21年に料理人になっています。
大正4年に朝太郎の息子で、2代目料理長になる渡部信太朗(わたべのぶたろう)が、翌年大正5年に3代目料理長渡辺金四郎(わたなべきんしろう)がそれぞれ入社しています。

しかし「平和煮」が提供されたのは大正9年。朝太郎は50台に入り、料理人としても脂ののった時期。信太郎、金四郎は入社4.5年の若造。残念ながら料理長交代のタイミングではなさそうです。

ちなみに、ここまで「歴代の料理長」と書いてきましたが、実際のところは平成3年に7代目二就任した川島料理長までは代々「親方」と呼ばれていたそうです。現在までも皆様に愛していただいている「渡部親方の大正コロッケット」というメニューも料理長ではなく「渡部親方」としてあります。

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さらに、ちなみに、ですが、
バターに日本酒、醤油を合わせたソースを作り始めたのが2代目信太郎親方。その独特なフレンチスタイルを「金谷風」と名付けたのが3代目金四郎親方だったと言われています。

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というわけで、料理長が変わったタイミング説は、残念ながら今回はあてはまらず。
今度はメニューじたいを深読みして「平和」の謎を探ります!

最後に厨房での記念写真をご紹介します。

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日光金谷ホテル厨房 大正末ごろか
前列中央 渡部朝太郎 その後ろに息子の渡部信太郎。 前列左端、渡辺金四郎。

つづく

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