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できれば若いうちに人の死に接した方が良いという話

刑務所の職員をしていたことは、プロフィールなどに書いているのでご承知していただけると思いますが、その仕事については何となくのイメージしかないのではないかと思います。そういう自分も、仕事に就くまで全く事前の知識なく、牢屋としか考えてなかったのです。

閉じこめておくのだから、逃げないようにしなければならないということは解りますが、それが具体的にどういう意味か実感できないのですが、ある意味当たり前です。それまで、学生とセールスマンとして生きてきたのが、いきなり塀の中です。何が何やらわかりません。

まず、普通の人生で、大の大人が血を流して本気で殴り合いをしている場面に出会う機会はそうありません。が、刑務所ではわりと日常的で、頃合いを見て仲裁というか制圧しに行きます。本気の大人の力はなかなかのものでそのために職員は訓練をするのですが、同じような仕事の警察や自衛隊の何倍も実務経験はあります。でも、何を持っているかわからない一般人を相手にするのはかなりこわいなぁ。

そういうことは、経験したからといって社会で役に立っことはない(逃げるのが一番良い判断)のですが、人の死に接する機会が多くあったことは、本当にありがたかったと思います。

人は割と簡単に死にます。死んだらただの物体です。刑務所で死ぬと行政検視か司法検視が行われます。行政検視はたいしたことないのですが、司法検視となると大変です。検察官や警察官の立会の元、死体を徹底的に解剖して死因を特定するのです。記録の写真も撮影します。立ち会いも撮影もしましたが、直後の食事は美味しくないです。

結局、自分の身内や知人以外の死などその程度なのです。命は大切だと一般的に言われます。時には、その正義を振りかざして主張する人もいますが、所詮は他人事なのです。死は自分の周辺に降りかからないと実感できないのです。というか、死に関して思い悩んだり、生きる気力をなくさないためにそなわっている人の本能なのだと思うのです。

それでも若いうちに死に触れてもらいたいと考えるのは、私自身が出会った死によって、生きることについて考えが深まったからなのです。

人は簡単に死にます。思っている以上に死ととなり合せの人生です。であれば生きているうちにやるべきことをしなくてはいけません。愛する人にちゃんと気持を伝えたり、感謝すべき人に会って礼を伝えたり、やりたいとこがあればすぐに取りかかったり、死んだあとに恥かしくないようにちゃんと片付けたり。

先程言ったように、誰とも知らない人の死は他人事です。だからこそ、自分が死んだ時にはその死を「自分事」と感じてくれる人が欲しいのです。

刑務所や少年院で何人かの死者と向きあいました。中には、無縁仏として送った人もいます。そのそれぞれの人のことを忘れることができません。正直なところ死に対して悼む気持はあまり起らない人たちだったのですが、私に命をかけて大切な事を教えてくれた人達なのです。ですから、私と共に生きて、そして、死んでもらいたいと思うのです。

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