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楽天的なニヒリズム(楽天的虚無主義)

自分が価値がないことを発見してから、人生は貴重に感じられた

Facebookで紹介しましたが、「楽天的なニヒリズム」について、もうちょっと考えてみます。

「あなたの人生は1回限り、これは恐ろしいことです。しかし、それはあなたを自由の身にします...。私たちの人生が私たちが経験するすべてのものであれば、それは重要な唯一のものです…。もし宇宙に目的がないなら、私たちがその目的が何であるかを決定づける事ができます。」— Kurzgesagt

例え話として

例えば、あなたは王家の跡取りで、この国の王として相応しい人物になることを運命づけられています。
資産も財宝も腐る程あります。しかし、貴方の自由にはなりません。
他の王国とのイザコザも絶えませんし、王や王妃からだけでなく、あらゆる人から望まれる人にならないといけません。うんざりですよね。
また、例えばあなたが、広大な平原に1人で取り残されたとします。
あなたは絶望するでしょう。しかし、あなたが望むなら平原を耕したり、建物を建てたり、仲間を作ったり、愛する人を見つけたり、人々を幸せにしたり、その他なんでもできるとしたら、ワクワクしませんか。
壮大な冒険の始まりです。
さあ、物語に名前はまだついていません。あなたの好きに名前をつけましょう。

人生の意味は自分で決める

「嫌われる勇気」で有名なアルフレッド・アドラーは、ある人から
「人生の意味はなんですか?」
と、尋ねられた時、
「一般的な人生の意味はない。人生の意味はあなたが自分自身に与えるものだ」
と言いました。
広大な平原に投げ出された時、自分の人生を自分で背負う勇気があれば、そこからたくさんの祝福を受けることができるということなのです。

神なき時代の生き方

「そんなこと、簡単にできる訳ないじゃん」「みんなが好きなことやっていたら社会は無茶苦茶になってしまう」等々のご意見があると思います。
「人生は1回限りで宇宙は自分のことなど微塵も認識しておらず、命は何の理由もなく消えてなくなる」
ということに気がついてしまって人が、いかに勇気を出して生きて行くかの処方箋なのです。
宗教がない時代を生き抜くための方法論と言えます。
宗教がない、信じるものがない人にとって、頼るべきは他人や国家が決めた法律や倫理ではなく、自分自身なのです。
ですから、楽天的と言いながらも、その道程は決して楽ではありませんが、気が付いてしまった以上、前に進むしか道はないのです。

自分自身のこと

ここまで解説して来ましたが、じゃあ、筆者はどうなのか。
実はお話ししたかったのはそのことなです。
それは近い機会に書いてみたいと思います。
話としては私の宗教観ということになるでしょうか。
さー、みなさん、ドン引きかもしれませんねぇ。
近日公開!お楽しみに。

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