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地獄の底を見てきたからこそ

刑務所で勤めてよかった

刑務官を拝命(入社すること)してから、業界に27年間働きました。
正直なところ、保安警備の仕事を好きだと思ったことは一度もありません。その結果、保安警備以外の勤務がほとんどを占めたので、それなりに長く続けられたし、幸せな公務員生活だったと思います。
一方、保安警備から一歩引いて全体を見る機会をいただいたこともあり、人生において大変に貴重な時期を過ごさせてもらい、得るものが多かったと思っています。
特に、しみじみ思うのは、世の中に怖いものがなくなっということです。
刑務所は、人生の悪い方の縮図です。

刑務所が日常

毎日、喧嘩やいさかいがあって、大人が殴り合いの喧嘩をしますし、喧嘩があれば制圧します。傷害事件なら事件送致します。
いじめも陰口も罵倒も恫喝は日常茶飯事です。職員だって告訴されたり訴えられます。
認知症も摂食障害も、感染症も人工透析も身近です。当然、死者も珍しくありません。当然、自殺も含みます。
事件の内容も様々で、無銭飲食、賽銭泥棒、交通事犯、覚醒剤や性犯罪、暴行殺人なんかもいますので、死刑確定者も当然います。
死刑の執行も刑務官の仕事です。
そういった中で仕事をさせてもらったおかげで、少々のことでは動じなくなりました。慣れてしまったのでしょう。
私はその実態を知っているので、それがあの程度で済むなら、世の中に怖いものはないです。
まぁ、良かったのか悪かったのか微妙ですが・・・

そこで輝くもの

一方、そんな中でも良いものもたくさん見せてもらいました。
真摯な反省、家族の愛情、被害者のゆるし、立ち直ろうとする意思、同情や共感、助け合い励まし合う姿、団結力、純粋な喜び等々
飾ることのできない環境ならではのダイレクトな感情のぶつかり合いもそこにはあったのです。
人間の最底辺においても「人間は素晴らしい」ということを教えてもらう瞬間がたくさんありました。
人間は多面的であり、刹那は永遠に続きます。そのどこを切り取っても同じということはありません。
良い時も悪い時もあり、また、その判断も揺らぐものなのです。
だからこそ、私は人の可能性を信じてきましたし、そうでなければ仕事を続けられなかったと思うのです。

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そこで得たもの

怪物と戦う者は、自ら怪物にならぬよう用心したほうがいい。 あなたが長く深淵を覗いていると、深淵もまたあなたを覗き込む。

よく引用されるニーチェの文章です。
結局、そこに何を見るかということなのです。
現実をどのように見るかは、それを認識する者によって変わります。
事実は一つであっても、感じ方は様々な訳です。
深淵をのぞいても怪物にならない方法は、怪物もまた事実の一つであり、あなた次第で善にも悪にもなり得るということです。
深淵からあなたを覗いている怪獣は、あなたのことを怪獣と思ってるかもしれません。同じようの怯えているのかもしれない。
あるいは、深淵から覗くのは、底にある水面に映った自分自身の姿かもしれないと・・・
そうであれば、あなたと怪物はどこが違うのか。
あなたと怪物を区別するものは何であるか。
自分の中にも深淵があり、それと向き合う勇気があるなら、地獄であっても笑っていられるのではないか。
それが、私が27年間かけて得た結論です。


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