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地球はみんなの"Mucho Trabajo"で出来ている

いきなりだが、Mucho Trabajo(ムーチョ トラバホ)という言葉をご紹介したい。
Trabajoはスペイン語の”仕事”、Muchoはたくさんという意味だ。つまり、仕事がたくさんで、とても忙しいというような状況を指す。

ところで皆さんは、自分のことをMucho Trabajoだとお考えだろうか?うん、イエスでしょう。たとえコロナで外出が自粛されようとも、何かとやることはある。

では、皆さんから見て明らかにMucho Trabajoではない方は思いつくだろうか。多分何人かは心当たりがあるのではと思います。今日はそんなお話。

あぁ、なぜそんなにも何もしないのか

冒頭の写真を一度見に戻っていただきたい。これは、私が中米の小国グアテマラに住んでいた時の写真。お揃いの民族衣装を身にまとう小さい殿方たちに紛れて並んでいるのは当時の私(左から2番目)である。

これは、中南米各国がスペインに統治されていた際に建設された町の名残で、町の中心にある噴水などがあるパルケ(公園)とムニシパリダ(市役所)がセットになっている、そのパルケで撮影されたものである。

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別アングルからパチリ。

こんな感じでこの人は日がな一日このパルケの柵にもたれ掛かり、何かを見ている。これ、平日だったか休日だったか忘れたけれど、平日だったとしても大きくは変わらない。ちなみにこの町はトドスサントスクチュマタンといって、秘境マニアにはたまらない場所だそうだ。たしかに秘境だった。

私たちも少しだけこの”下を眺めるという簡単なお仕事”に参加させていただいたものの、ぶっちゃけコレ飽きる。すぐにやめた。彼らには何もしない苦痛というものがないらしい。

それでもMucho Trabajo

さて、今の話を聞いて、あなたは彼らがMucho Trabajoだと思うだろうか?ちなみに男性が多い?と感じられた方は正解で、確かに女性も中にはいるが、多くが男性である。なぜなら女性はやることが多いからだ。仕事が休みでも家事、育児がある。公園で柵に寄りかかる時間はないのだ。世界中のどこでも女性というものはまさに厳しい環境で生きている。

話がそれたが、おそらくあなたの答えはNOだと予想する。だって、まじで何もしていないから。私も心の底から同意する。

私はグアテマラという国で2年間青年海外協力隊としてボランティア活動を行っていた。私の同僚は比較的働き者の女性が多かったが、隊員仲間の中には周りの住民がみんな忙しいといって何も出来ない、協力してくれないという声がしばしば聞こえた。”は?一日畑の傍に腰かけて昼っからビール飲んでるくせに?”と言いたい気持ちを抑えて活動している隊員は本当に偉いと思う。

まぁそこまで顕著な例でなくても、いやいやもっと頑張ればこんな仕事さくさく終わるじゃん、これくらいしか仕事がないのに忙しいって文句言うなよ、そんな風に思うことは私もしょっちゅうあった。だがある日、こんな話を聞いて私は目を開くことになる。

そう、世界中みんなMucho Trabajoなのだ。あなたも私も、それなりに

いつだか、誰からだかは忘れたけれどこんな話を聞いた。グアテマラにはティエンダという小規模なコンビニみたいなものが多くある。それらは個人経営で、家族の中の誰かが店番をしている仕組みだ。とはいえコンビニ以上の頻度で、もはや各角くらいにこのティエンダはあるので、店が混むなんてことはまずない。店番というのは退屈が仕事みたいなものである。

そんな中で、一日店番の担当だったお嬢さんだかが、「あー今日もMucho Trabajoだった、忙しい忙しい」みたいなことを言ってのけたそうだ。なるほど、まぁ確かに一日店番してなきゃいけないんだからそりゃMucho Trabajoにもなるわな、実際はほぼ丸一日スマホでFacebookを見ていたとしても。

結局のところ、忙しいというのは他人と比べることが出来ない、自分のなかだけの価値観である。多分、あなたが”あいつはいつも努力せずにさぼっている”と睨んでいる人も、その人からしたらMucho Trabajoなのだ。人間は、おそらく世界中どこでも、誰でも、自分なりのMucho Trabajoとともに生きている。そんなことを、あのグアテマラでのんびりと過ごすおじちゃんたちは教えてくれる。

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