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恋愛っていうのは、自分のカスみたいなところを煎じたみたいなもんだから

人間だれしも、他人には言えないどうしようもない過去の行動を思い出して、声にならない声で叫びたくなることだってある。爪と爪の間に何か物が詰まったみたいに、必死に掻き出したくて力を籠めるんだけど、結局そこには何もないからすっきりすることはないみたいな感じで。だいたい、過去の恋人にしてしまったアレやコレは、思い出したくないくらいにクソみそだったりする。

端的に言えば、私は恋愛が下手だ。
何年もかなわぬ恋を引きずったり、当てもないような人ばかりを好きになってみたり、かと思えば自分を好きと言ってくれる人を無下に扱ったことがあるくらいには、とりあえず聖者のようなやつではない。

今、私にはパートナーがいる。励まし合ったり、笑わせ合ったり、世界中の人類の半分以上が引きこもりであることを強要されている前代未聞のこの世の中で、母国とは遠く離れたこの地で何とか笑って生きているのは間違いなくこの人のおかげである。そんな彼と一緒に過ごすうえで、常に心の中で唱え続けている言葉がある。

卑屈にならず、過信せず

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(楽しいはずだったイースターもとんでもないことになった)

自分の足で自分を安定させるってのは結構大変なもので、「オレの前では強がるなよ…」なんて肩を抱かれることへの憧れはとっくのとうに消滅した30代であれど、男性の期待に応えたい、守ってもらいたいなんていうディズニープリンセス的刷り込みを抱いた小さいころの私の怨霊は、まだどっかに住み着いていたりする。

普段は多少の虫が出たって声もあげずに処理するような、上司がクソみたいでも言い返してしまえるような強さをもった人間であっても、彼が出来たとたんに自分のクソみそがヒョコっと顔を出して、足が2本じゃ足りなくなっちゃうときがあるのだ。彼の声が聴けないと不安で寝られない…!みたいなりぼんの主人公のようなふにゃふにゃになってしまうのだ。

まぁ、別に強いことが正義ではないけれど、自分の人生で処理してこれなかった爪アカを、他人に煎じて飲ませる必要はない。煎じてしまったなら自分で処理するべきである。

自分が過去に傷ついたこと、自信が持てないことを他人の言動で慰めてもらおうとしない。ケアを求めて相手を試さない。これはまじで爪カスのやることだ。相手は好意で受け止めてくれるかもしれないが、コンプレックスってのは自分で整理して一緒に生きていくものであって、誰かにどうこうしてもらうものではない。

愛しているなら〇〇してくれるはずだ、きっと〇〇だろうなんて信じ込むことはキケンだ。マヤの予言でも世界の滅亡を外しているのにとんでもない暴挙だ。気になるなら言葉で確認すればいいし、してほしいならお願いすればいい。だいたい、他人の気持ちと行動はコントロールしようったって出来ないのだから、それに期待したり失望したりする時間は人生において意義がない。


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(私のイースター休暇は風と共に去りぬ)

そうこう偉そうなことを言ったが、結局私もまだまだ修行中の身である。今日も解脱を目指して外出禁止の長い1日を生きるのだ。

恋愛なんて、だいたいが人間のクソみそな部分のふきダメだ。だからこそ、自分の足でたっているか?一歩ずつ確かめながら歩んでいく必要がある。人生一回目の我々だから、そうやってしぶとく生きていこう。

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