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バーチャルYoutuberという幻想の中に見つけた"愛"について

今年も引退の季節になった。毎年この時期と春先は引退するVtuberが多くなるのだけれど、今年の引退は少し特別だった気がする。今まで長く活動してきた人の引退が目立った。

そして、先日初期Vtuber界隈の生き証人である、さはなくんが卒業した。

さはなくんが最後に残した動画を見て、色々考えさせられた。
この言葉にならない思いをなんとか絞り出してみようと思う。

バーチャルYoutuberとは何なのか?

多くの人々がこの定義や言葉に惑わされてきた。ある人はVtuberと呼ばれる人たちのことを生主と呼んだり、バーチャルキャバクラと揶揄したりもしている。事実、それは間違ってはいない。

バーチャルYoutuberの中には元ニコ生主や歌い手の人が多く含まれている。また、仕事として声優が担っているパターンも多い(ここではあえて言及しないが)。

それならば、バーチャルYoutuber特有のものは具体的になんなんだ、と問われると、答えるのは非常に難しい。
この疑問に対して、明確に答えを出せる人は誰もいないだろう。

だから、正確にバーチャルYoutuberという言葉を表現しようとすると、その答えは”人それぞれ違う”という定義に落ち着いてしまう。

しかし、これもよく考えれば当たり前の話だ。

現在Vtuberの数は一万人を超えると言われる。

Vtuber界隈の上位層――ホロライブやにじさんじについて論じるならまだしも、Vtuber全体について論じるなどこの規模では不可能だろう。

そうならば、私たちはどんなものをバーチャルYoutuberと呼んでいるのか?Vtuberであるとはどういうことなのか?

さはなくんの動画を見て、久々に原初の気持ちに却ってみた。

結論:僕たちはこの画面の下の"かわいい"が好きだった。

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界隈でよく話されるような未来とかAIとかVRとかスパチャなんかそのときはどうでも良くて、

画面の下に移る女の子がかわいい方が良い

ただそれだけの話だった。バーチャルYoutuberはそんな大層なものではなくて、目に映るかわいさを求めた末の人類の叡智だった。

よくある表現で述べると、かわいいは正義ということだ。

そして、このkawaiiに憧れて、2018年のブームのとき、多くのVtuberがデビューした。

かわいいの先には何があるのか?

多くの人々がそこにかわいいを目指してデビューしたVtuber界隈。

しかし、その先にかわいいの先を目指した人々もいた。
2018年にデビューした個人勢たち――さらにはその先のにじさんじ・ホロライブまで文脈を引っ張っても良いだろう。彼らはかわいいを手に入れた上でその先の自己実現を目指した。

アバター文化の標語になりたい自分になれるというものがある。

バーチャル美少女ねむさんが提唱している「人類美少女計画」というものはその典型例だろう。

かわいい自分になりたい! 自分らしい自分になりたい!という考えは、至極普遍的なものだ。
そもそも人間は自己承認欲求・そしてその先に自己実現の欲求をもっている。

マズローの欲求5段階説では、最終的なゴールに自己実現の欲求を置いている。自己実現を達成することが人間の最上の幸せと考えることもできるだろう。

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それならば、Vtuberたちはなりたい自分になれているのだろうか?

これが非常に難しい。なぜなら、殆どの人間は「なりたい自分という具体的なビジョンをもっていない」からだ。

例えば、今自分の胸に聞いてみてほしい。

「将来、自分はどんな自分になりたいか?」

この命題に明確に答えられる人はそうそういないように思う。

学生たちが就職のときに「やりたいことがない」と悩むのと同じだ。殆どの人間は刹那的で享楽的に生きている。そうでなければ、学生時代、宿題をもっと早く終わらせられていただろう?

だから、バーチャルは仮りそめでその実態は何も伴っていない。本当になりたい自分なんて自分が一番分かっていないのだから。

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しかし、私は一般人とVtuberには一つ大きな違いがあるように考えている。

それは、少なくともVtuberは何者かにはなろうとしている、という点だ。

その志がどんなものかはわからない。企業に意図されたものなのかもしれないし、Vtuber本人の不断の決意で生まれたものかもしれない。

ここで忘れてはならないことは、Vtuberと人間との大きな違いは、Vtuberは活動しなければ存在できないということだ。少なくとも、最初の一歩、Vtuberと名乗ることがVtuberになる最低条件だ。

だから、Vtuberとは何者かになろうという所信表明だと私は思う。

そして、Vtuber活動とはなりたい自分を探す、なりたい自分になる「生き様」なんだ。

そして、Vtuberになろうとしている人は皆、なりたい自分になろうと(その将来像がどう描いているのか分からないけど)、努力している。生きてもがいて、何かを達成しようとしている。

私はそこに"愛"を見出す。そんなVtuberが私は好きだ。

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※この文章はおっさんがノリと勢いで書いたものなので、細かいツッコミはやめて下さい。


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