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人生の伏線

 失敗続きの人生だった。

 まず高校受験。第一志望の学校に入学はしたが、そもそも志望校を選ぶ際、私は妥協して志望校を選んでいた。失敗できない受験への不安と終わりの見えない勉強の苦しさ、そして偏差値の高い学校の学習の進度についていけるかどうか自信がなかったため、私はより安全で少し楽な方を選んでしまったのだ。晴れて志望した高校に入学はしたが、予想していなかった事態に直面し、妥協しなければよかったと何度も後悔した。

 高校と言えば、文理選択も失敗している。私は親の勧めで理系に進んだが理系科目は得意ではなく、勉強には苦戦した。そもそも本当になりたいと思っていた職業は文系だった。だがその仕事だけでやっていける人は稀で、一般的に安定しているとは言えない職業だった。そのため親から、手に職をつけ安定した仕事に就いてから夢を目指せばいい、と言いくるめられ、その時は私も納得したのだった。

 そして大学。親の勧めもあり私は医療系の大学を目指した。大学受験は難航し、思うような結果が出ずなんとか合格を掴めた大学に入学した。だが大学の講義は高校の授業とは比べ物にならないほど難易度が高く、必修単位や実験、レポートも多く一般的に夢見るようなキャンパスライフではなかった。私立の学校だったため学費が高く、裕福ではない家の負担になることが心苦しかった。  勉強漬けの日々を続けてちゃんと試験に合格し資格を取れるのか?それまでの学費は?本当にやりたいことはいつできるのか?
 私は悩んだ末、大学を辞めた。まさか、自分の人生に中退という文字が付くとは思いもしなかった。

 それから私は公務員試験を受け、公務員になった。公務員として働いていた時は、他の職業では体験できないことや知ることのできないことを知ることができて、有意義ではあった。だが環境に適合できず心身を壊し、電車では何度も吐き気と眩暈に襲われ休職も経験した。どれだけ条件が良い仕事だとしても、私には合わなかったのだ。
 結局、私は公務員を退職した。

 これだけ並べてみると、まぁ見事である。何も上手くいっていないし結果を出せていない。傍からみたら上手くいっていると思う場面もあるかもしれないが、結果的に次の失敗を生み出している。私は何度も私の人生は上手くいかない、何にもならない、と思ってきた。

 だが物事は一面だけではなく、多角的に見ることができるものだ。そしてどこかで失敗したとしても、人生は続いていく。私の人生も角度を変えると別のものが見えてくる。失敗した瞬間の後には、新たな出来事が待っている。

 高校生の時、理系に進まなければ出会えなかった友達がいる、学べなかったことがある。
 大学に行かなければ住むことのなかった土地、出会わなかった人、知らなかったことがある。
 社会人時代。あの職場でなければ体験できないこと、知り得ないことがたくさんあった。仕事を辞めても変わらず接してくれる友人を何人も得られた。そして生涯を共にする相手と出会えた。彼とは公務員にならなければ出会えていなかっただろう。

 そして私は仕事を辞めて、やっと本当になりたかったものへの道を歩き始めた。私が仕事を辞めた年と大学を卒業するはずだった年は同じ年だった。社会人になるはずだった年と仕事を辞めた年が同じなんて、なんだか運命的に思えた。学生として専門知識を学ぶ代わりに社会人として社会を学んだ。悪くないと、今は思う。

 人生には、ワンシーンだけみると失敗に思える出来事があるだろう。だが長い目で見ると、それが人生の伏線になっていることがある。その時は間違いや失敗だったと思っても、後に予想もしなかった別の出来事へと繋がるかもしれない。

 人生はいかに正しい選択肢を選ぶのかが重要なのではなく、選んだ選択肢をいかに正しくしていくのかが重要なのだ。誰だって体験したことのないことや初めて見たものが正しいかどうかなんて分からない。世間や一般が言う「正しい」ことが自分に当てはまるとは限らない。なら、その時の最善、最適だと思う選択肢を選ぶしかない。失敗だと思ったら後から正していけばいいだけだ。そうするうちに、予想もしていなかった場所に辿り着けるかもしれない。

 みんなが選ぶ道で予想通りの結果になるのも良いかもしれない。でも他の人が選ばないような道を進んで行って、誰も見たことのない景色を見るのも素敵なことだ。

 人生は、どこへ何がどうやって繋がっていくか分からない。だから選ぶのは自分、その基準は自分次第だ。           


  もしかしたら今日の選択が、将来思いもよらない出来事を運んでくるかもしれない。

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