短編:光へ

ジリリリリリリリリ
 私は瞼を閉じたまま、右手をバタバタと動かす。
リリリリリリリリ。
 やっと耳を刺す音が鳴りやんだ。
 重たい瞼をうっすらと開け、先ほどまでけたたましい音を響かせていた時計に目を向ける。時間は6時半。いつもならこのまま起きて、仕事へ行く準備をするために布団から出るのだが、今日は違う。正しくは今日からは違う。
「もうちょっと。」
 私はもう一度瞼を閉じ、夢の続きを見ようとした。しかし、習慣とは怖いものだ。もう頭は覚醒してしまい、寝ようとしても眠れなかった。
 仕方がないので私は上体を起こし、布団から抜け出した。カーテンの隙間から少しだけ太陽の光が差し込んでいる。私はスリッパを履き、カーテンを開き、太陽の光を全身に浴びた。
「まぶしい...」
 光に慣れてきて、だんだんと視界がクリアになっていく。遠くには川が見え、眼下には畑が広がっている。そろそろ大根が収穫の頃合いかな?私はそんなことを考えながら窓から離れた。

「午後のプレゼンの資料、コピーしてくれた?」
 先輩がサンドウィッチを口に運びながら、声を掛けられる。
「さっきコピーして、先輩の机の上に置いておいたんですけど、なかったですか?」
「あぁ!これか!ありがと!!」
 先輩は資料を手に取り、パラパラと紙をめくっていく。私はそんな先輩から視線を戻し、目の前のパソコンと向き合う。
「ゆきちゃん。今日何時まで、残業できる?今日休んでる佐々木が今日までの資料作ってなかったって、今頃連絡してきたの。」
 向かいの席の先輩から信じたくない言葉が聞こえてきた。
「終電までなら大丈夫ですよー。それにしても、またですか......」
 そう。またなのだ。今年の4月に入社してきた佐々木さん。9月に有休が与えられてから、突然休むことが増えた。そして、引継ぎは昼頃に送られてくる。そんな調子なので、元々彼女には重要な仕事は振っていない。今回彼女が作っていなかった資料は半分以上、私が作っており、細かい過去の数値の入力のみ彼女に任せていた。それすら出来ないのか.....
 こんな風に残業が発生することはよくある。私はその環境に疲れ切っていた。仕事はやりがいがある。だが、毎日残業が当たり前。家に帰ってもさっとシャワーを浴びて布団に沈み込むだけの生活に疲弊してしまっていた。

 『佐々木さん、ちゃんと仕事してるかな?出社してるかな?』
 私は昨日まで同僚だった彼女のことを、ゆっくりとコーヒーを飲みながら考えていた。窓の外を見ながらのんびりとコーヒーを飲むなんていつ振りだろうか。初任給で買ったお気に入りのマグカップ。特別高いものではないけれど、社会人だし優雅にコーヒーとか飲めたらカッコいいな。そんな思いで買ったマグカップ。使うのは何回目だろうか。片手で数えられる程しかない気がする。
 毎日残業ばかりでまともに休息が取れなかった3年間。耐えてきた私の心を折ったのは佐々木さんの一言だった。
「私、先輩みたいになりたくないです。見た目も含めて。」
 これは私が彼女に、欠勤する際の引継ぎは朝一にほしいことを伝えた時に返ってきた一言だった。彼女から見れば私は、仕事に人生を捧げ、彼氏もおらず、何のために働いているのか。肌も荒れ、実年齢よりも歳を取って見える、疲れた人。そんな風に見えていたらしい。確かに入社してから私が一番後輩だったので、通常の業務プラス雑用も回ってきていた。そのため、毎日仕事に追われていた。でもそれも後輩である彼女が入ったことにより、分散され、少しは楽になれるはずだった。
「私は先輩と違って、残業とかしません。定時で帰ります。」
 先ほどの一言に続いた言葉がこれだった。
『あぁ、私はここから抜け出せないのか。』そう思った瞬間、私は決意した。社内での業務改善に関しては散々上司に相談してきた。それでも実情は変わらない。
 そして私は仕事を辞めた。

 窓から見える川では桜が満開になっていた。
 毎日自然と目が覚め、同じ時間帯に布団に入り、瞼を閉じる。休日にはお気に入りのマグカップにコーヒーを淹れ、窓辺で読書をする。時々近所の居酒屋さんに行って、常連さんや大将と話をしながらお酒を飲む。そんな生活は私には合っていた。
 仕事は常時在宅勤務の会社を探し、再就職。在宅のおかげで毎日満員電車に揺られることもなく、自分の時間を作ることが出来るようになった。
 佐々木さんが今の私を見たらなんと言うのだろう。今でも私のようになりたくない、と言われてしまうのだろうか。それでも私は今の自分が好きだ。無理に後輩の見本になろうとすることもなく、先輩に嫌われないようにご機嫌取りをすることもない。おかげで今では肌荒れもせず、眠れぬ夜を過ごすこともなくなった。
ブルブルブル
「もしもし?ゆきちゃん?おうちの前着いたよ!」
「はーい!今出ますね!」
 私は窓のカーテンを閉め、マグカップをシンクに置いて、バッグを肩からかける。ちょっと高めにヒールを履いて、玄関の扉を開けた。
 やわらかい光を浴びながら、私は彼が待つ車に乗り込んだ。



最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
初めて書いてみた、短編小説となります。
自分らしく生きていきたいな、という思いを込めて書いてみました。

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