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今日は恋文の日だそうで。

恋とはどんなものかしら。
恋愛市場から即死撤退して幾星霜、郁です。


なんか今日は、恋文の日らしいですね。


恋文どころか手紙を書くことがなくなり、切手の値段が変わっていることに今更驚いています。
今日は恋文の話について書いてみようかな。
私?私は書きませんよそんなもの。

懸想って打ったらなかなか出てきてくれなくて、ちょっと笑いました。
美しい言葉なのに、縁がなさすぎて化石と化してるわ。

現代の男女は直接会って告白したり、LINEで告白したりしますね。

でも当時は簡単に会えなかったわけです。
そのため最初は、和歌を贈っていました(これが懸想文)。

当時の男性は、短い言葉の中に想いを託すだけでなく、染めた和紙を使用したり、香りをつけたりとさまざまな工夫を凝らしてなんとか意中の女性を振り向かせたいと頑張ったらしいです。


もちろんプロポーズも和歌なので、この時代の恋愛には和歌が必須。

古今和歌集の序文には、「(和歌は)天地の神々を動かし人の道にも影響を与える(効果がある)」と記されているため、政治的な意味合いもあったのではと言われています。

つまり和歌を詠むことは、教養層にとってはたしなみのひとつであり、生きる手段でもあったのでしょう。
そして、男女が詠み交わして自らの心を伝える手だてとし、また歌合や歌会が多く開かれ、そのための和歌が詠まれ披露されたそうです。

基本的に求愛時の男性の歌はストレートな愛情表現や、嘆いたり、愛を誓ったり、女の信頼を勝ち得ようとひたすら低姿勢で、自分の愛情の深さを訴えます。

 これに対して、女性はすぐに返事をしません。
無視してみたり(悲しい)、代筆させたり、「困ります〜。こんな文をもらうなんて〜」みたいなポーズを作ってみたり。
こういう手練手管がある人が、センスのある人と思われていたそうです。
私には無理だな...

特に、鎌倉時代に入ると、政権を奪われた貴族たちは伝統文化を心のより所にしたため、和歌は盛んに詠まれたのだとか。



でもまあ当然ですが、恋文にも得手不得手があります。
そりゃね、そうですよね。
また、広く一般庶民まで誰でも字が書ける時代ではなかったので、ごく限られた一部の人しか字が書けませんでした。
さて、困った。どうしたもんかと悩んでいた人のニーズから生まれたのが「懸想文売り」。

そう、手紙を書くのが苦手なら、買えばいいんだ!!

これは、古文や和歌などの教養があってもお金が無い貧乏な公家さんにとっても、よいアルバイトでした。
京の都では、赤い着物に身を包み、古来は立烏帽子、後には編笠を被り、顔を白い布で覆った姿で、正月初めに懸想文を梅の小枝に刺して売り歩いたそうです。



また、「代筆恋文」というのもあったそう。
現代でも、某クリエイターサイトなんかで「代筆します」というのを見かけますね。

たとえば、鎌倉時代の武人・高 師直(こうの もろなお)が、美人と評判の塩谷高貞(えんやたかさだ)の妻の話を聞き、夢中になってあらゆる手を用いて口説こうとするも、なびかなかったそう。
でも諦めない師直。紅葉を重ねた薄紙に、手に取ると匂いが移るほどの香を焚いて、吉田兼好に恋文の代筆を依頼する。
文は送られたものの、高貞の妻は文を開きもせず、庭に捨ててしまう...という逸話が残っています。
一生懸命頑張ったんだけどね。
でも人のものを取っちゃダメよ。










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