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8月6日の朝に

こんにちは、郁です。

今朝もいつも通りに目が覚めました。
いつも通りにストレッチをし、筋トレをこなし、朝ごはんを食べながらニュースを見て、台風の影響はどうなるんやろうねえと話しながら。

戦後78年が経ちました。
私は戦争を知りません。
祖父母から戦争体験を聞いたことはありません。

でも、小学1年の時の、夏休み中の平和学習が強烈に頭に残っています。
『おこりじぞう』という映画でした。
原爆が落とされた後の、小さな女の子の「おかあちゃん」というか細い声、忘れられませんでした。
その日は「あんな怖い爆弾が落ちたらどうしよう」と思って、眠れませんでした。

その後、たまたま学校の図書室で出会った『はだしのゲン』に衝撃を受けました。
「学校にも漫画を置いてあるんだなあ」と思って読み進め、大変なショックを受けました。

だけど、あの時期に知っておいてよかったと強く思います。
その後も夏が近づくたびに、戦争や原爆の本を読むようになったからです。

私たちの頃は、この時期になると終戦記念日のドラマや、あの戦争についての特集番組が多く放送されてあり、学校でも登校日にはそういった学習の時間が設けられていました。

今はどうでしょう。
ショッキングだから、グロテスクだから、それで遠ざけていいのかなあと思います。
もちろん、ショックは受けるでしょう。
当時の私のように、眠れなくもなるでしょう。
だけどそれが、戦争の悲惨さだと思います。
ひとたび戦争が始まってしまえば、グロテスクだからとかショッキングだからとか、そんなのは関係なく、それが当たり前になってしまうのです。

今日の8時15分、サイレンが鳴りました。
サンルームで洗濯物を干していた母が、何ごとかと出てきました。

「今日は広島に原爆が落とされた日だよ、黙祷しよう」と言って、並んで黙祷をしました。
黙祷をしながら、思いました。

78年前の今日、母と同じように、洗濯物を干しに出た奥さんもいただろうか。

この時間だから、子供たちは学校に出ていたはず。

仕事に出ていた人も、今日も晴れたなあと空を見上げた人も、突然落とされた新型爆弾によって、生きた証ごと吹き飛ばされたのかと。
そう考えると、合わせた手には力が篭もりました。

78年が経つとはいえ、生活様式もだいぶ変わったとはいえ、当時の人々も私も、何も変わらないはずなのに、どうしてだろう。


また、先日は、バービー人形の世界を実写化した映画『バービー』。
そして、原子爆弾を開発した物理学者を主人公にした映画「オッペンハイマー」という、2つの作品のコラージュ画像がSNS上に多数投稿されたことが批判を浴びました。
日本人として、私も腑が煮え繰り返るような思いを抱きました。

バービー役の女優の髪形が、原爆の「キノコ雲」になっていたり、バービーと幼なじみのケンが原爆の爆発をバックに笑顔を見せる画像などが出回り、それを米公式アカウントが「思い出に残る夏になりそう」などと返信したことで、日本では「#NoBarbenheimer」というハッシュタグが誕生し、映画のレビューは1.1、批判がずらっと並び、署名活動も開始され、多くの署名が集められています。

私自身、やっぱりアメリカの意識なんてこんなものとガッカリしたと同時に、人の命がたくさん失われた出来事をジョークにしてしまえる神経を疑いました。

一方で、原爆資料館に訪れる外国人の数が増えているというニュースも観ました。

私たち日本人が先の戦争について学び続けることと、こうした人たちが増えることが、今は1番大切なことではないかと感じました。

1945(昭和20年)8月6日月曜日の午前8時15分。 アメリカが、広島に対して原子爆弾リトルボーイを落とし、この核攻撃により当時の広島市の人口35万人(推定)の内、9~16万6千人が被爆から2~4ヶ月以内に死亡し、今日に至るまで放射線症で苦しんでいる人々がいます。

同年8月9日(木曜日)の午前11時02分には、ファットマンが落とされました。
当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡、建物は約36%が全焼または全半壊したのです。

このことを知らない世代の方が多くなりました。
実際、ロシアとウクライナでは戦争も勃発し、世界は分断されたと感じます。
今こそ、先の大戦について学ぶことが大事なのではと思う、8月6日でした。

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