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誰も取りこぼさない社会をつくるために


こんばんは、ぬこです。
6年前の今日、相模原市にある障害者施設『津久井やまゆり園』にて、入所者の方ら45人が殺傷されるという事件が起きました。

書くか書くまいか悩みましたが、忘れない、という個人的な備忘録として書くことにしました。



事件概要

2016年7月26日、相模原市にある障害者施設『津久井やまゆり園』を元職員の植松聖死刑囚が襲い、入所者19人を殺害、職員を含む26人に重軽傷を負わせた。
殺人罪などに問われた植松聖死刑囚(32)が死刑判決を受け確定。その後、今年4月に植松死刑囚側が再審請求。
確定判決は「重度障害者を殺害すれば不幸が減る」などと考えたことが動機とされた。

この事件の一報が入ったとき、マグマが湧き上がるような、喉元から迫り上がってくるような、今までにないくらいの大変な怒りを感じたことを、6年経った今でも覚えています。

それは、私が障がい者であるということ以上に、今は施設でお世話になっている、母方の祖父が真っ先に脳裏に浮かんだからでした。

当時私は、脳腫瘍で入院中だった祖父のリハビリに付き合っていました。

祖父は、元気な頃は頑固で無口な人でした。
プライドが高く、周囲の人の意見など全く聞こうとしない人でした。

だから、リハビリなんて多分やらないだろう...と思っていたのですが、
「リハビリをやらないと寝たきりになるんだって。リハビリを頑張れば歩けるようになるかもしれないけど、絶対に歩けるようになるかはわかんない。
リハビリは多分痛いし辛いと思うけど、やるなら私も一緒に頑張るけど、どう?」と、当時入院中の母の代わりに聞いたら、自分の動かない脚を叩きながら頷いてくれて、それから本当にすごく頑張っていました。

一時期は何かに掴まりながらなら、自分で歩けるくらいになったので、祖父のパワーに驚かされたのでした。

その姿を見て、私も勇気をもらっていたので、「障害者を殺害すれば不幸が減る」「生産しない者には価値がない」という言葉に、本当に、ぐつぐつと怒りが込み上げてきたのでした。

また、当時、植松死刑囚の言葉に賛同するような声もちらほら聞こえてきたのもショックでした。

障がい者は不幸を生産するのか


やまゆり園の事件が起きた後...昨年くらいだったかな。
ハートネットTVで、『障害者施設19人殺害事件を生き延びて』という番組が放送されました(NHK公式がYouTubeにも上げているので、気になる方はぜひ)。

事件で重傷を負った元入所者の方。
この方は、事件がおきたとき、重傷を負いながらも、結束バンドで手を縛られた園の職員の方に「携帯を取って」と言われ、まだ犯人がどこにいるかもわからない中を職員の携帯電話を探して渡し、110番通報につながったのだそうです。

番組の中でヘルパーさんが語られていましたが、これは「不幸しか作らない」という犯人の主張に真っ向から対峙する行動だったわけで、私も番組を観ながら震えました。

私の祖父の話に戻りますが、私の祖父も、今では話せないし、仕事はできません。
でも、リハビリを続けて、自分の力で寝たきりを回避したことを、私は誇りに思っています。
ものすごく頑張っている姿を見せてくれて、当時は仕事をしながら母の病院と祖父の病院を行き来する中で、本当に励みになりました。

社会で活躍するという意味でいえば、確かに生産性はないのかもしれない。
でも、祖父が生きていて施設でお世話になりながら、元気で暮らしていることは、私たち家族の支えになっている。
それだけで、心の生産性に繋がっていると思います。

また、「生産性がなければ社会にいる意味はない」「価値がなければ社会にいる意味はない」という考え方は、たとえばいつか自分が老いて今のように働けなくなったとき、もしくはなんらかの形で障がいを負ってしまったとき、自分自身を追い詰める危険な考え方では、と思います。

誰も取りこぼさない社会のために

秋葉原事件の犯人の死刑執行のニュースも、今日は飛び込んできました。

犯人は、現実社会の中で自身の居場所を見いだせず、不満を募らせて暴発し、事件を起こしました。

世の中には、もがきながら必死に生きている人もいます。
私も障がいを持ち、人とのコミュニケーションに悩みながら生きています。
特に今は、コロナで孤立を深めてしまいがちな人も多いでしょう。


そういう人を社会から締め出してしまうのではなく、お互いに声をかけあって生きていけるような社会になればいいな、と思いますし、そういう社会にしていきたいと強く感じました。




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