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8月9日の朝に

おはようございます、郁です。
台風接近により、私の住む地域も雨風強く、まだ私の地域には避難指示は出ていませんが、避難指示の出ている地域もあります。
引き続き注意しながら過ごしたいです。
みなさまも、お気をつけて。



1945年8月9日 午前11時2分。
広島原爆投下から3日後。
長崎市内の浦上地域上空に、原子爆弾ファットマンが落とされ、付近は一瞬のうちに廃墟と化し、7万3884人もの命を奪いました(45年末時点)。

この原爆は、広島に投下されたウラン235を原料としたものとは異なり、プルトニウム239が原料である、より強力な原子爆弾だったそう。

その威力は広島の1.5倍であり、甚大な被害を及ぼしました。

当時、9日朝は警戒警報が出ていたものの、午前10時には解除。
警報が解除となり、多くの市民が、いつもの通り仕事や学校へ赴き生活している中で、原子爆弾は落とされたそうです。

戦後78年が経って、また78年目の今日が訪れました。
でも、今日も戦争というものが消えて無くなることはなく、ロシアは核の脅威をちらつかせています。

戦争はいけないもの。
戦争は、生活を壊し、人間の尊厳を奪い、やがては街も人も壊し尽くすもの。

わかっていても、未だになくならない。
目の前で起こりそうな戦争を「具体的に」どうやって抑止するかー。
これは、おそらく先の大戦が終わったあとの命題であったのだろうけれど、考えても考えても上手い答えというか、正解が見つけられる気がしません。

ウクライナでは戦争が起きました。
戦争が起こってしまったということは、どこかで平和構築に失敗があった。
平和を保つための最善の方法が取られていなかったか、あるいはロシアという国がそれを上回っていたーなど、いろいろ考えられるのだろうけど、永続的な、恒久的な平和構築はできず、世界的にもまた不安定になっていると感じます。


では、戦争を繰り返す国が悪で、その悪が存在する限りは戦争はなくならないのでしょうか。

でも、仮にその「悪」が消えたとしても、また新たな「悪」が増えるだけだと思います。
人間にはさまざまな人格を持った人がいるように、考えられないようなことをしでかす国であったり、グループであったり、は存在するでしょう。

また、今までの歴史の積み重ねにより、引くに引けない状況になってしまっている国もあります。

どうしたら平和な国を作れるか。
対話でどうにかできるような、理解をしてくれる国であるとか、人であるなら話は早いし簡単だけれど、歴史を見ても、そうは簡単にいかないのが国と国の問題でしょう。

ではどうしたらいいのか。
具体的な解決策は思い浮かびません。
ただ、今私ができることといえば、先の戦争について学び、それを周囲や後世に伝えて行くことではないかと思っています。

核に犯され死滅してゆく者のこの刹那を
ワシントンよ モスクワよ 知るがよい
“ゲッセマネの園の祈り”を知るように
(遺稿詩集『現代のカルテ』病棟の夜の底で/
原口 喜久也)

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