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小さな決意

4年前、ニーナ・シモンのドキュメンタリー、『ニーナ・シモン~魂の声』(今もNetflixにあるのかしら?)を見た時に、すごく心に残ったインタビューシーンがある。

「あなたにとって自由とは何ですか?」と問われたニーナ・シモンは、少し考えて答える。

「自由は感じるもの。恋と同じ。恋に落ちたことがない人には、説明しても決してどんな感じかはわからない。でもそれが起こったら、すぐにわかる。私にとっての自由はそういうもの。ステージの上で、何度か自由だと感じたことがある。あれは、他にはない感覚よ」

そして、はっと気づいたように表情を変えて、

「私にとっての自由が何だか教えてあげる。それは、『怖れがない』こと。ほんとうに、まったく怖れがない状態のこと」

それから、切実な表情でつぶやく。

「人生の半分でも、その感覚を感じられたら…」

*  *  *

自由とは、「怖れがない」こと。

それはその時の私にとってはものすごい気づきで、心から感銘を受けた私は何度もこのインタビューだけ見て、挙句の果てにはちょうどその頃に一緒に温泉旅行に行った友だちにも「これ、すごく良かったから!」と宿で無理やり見せて(ついでにニーナの歌も聞かせたら「和田アキ子みたいだね!」と言われた)、ブログにも書いた

私たちのあり方には、突きつめれば愛か怖れのどちらかしかないという。
いろんな人が話しているし、本にもたくさん書かれている。

だとしたら、自由って、愛でいられるっていうことなんだ。
自分にも世界にも、ひらかれて、安心できている。
その心地良さを、私たちは「自由」って呼んでいるんだ。

4年前の私は、怖れの方がずっと多い状態で生きていたから、自由って「時々、そういう瞬間が訪れるもの」だと思っていた。
自分で選んだり決めたりすることはできない、ふとした時にやってくる、幸運。奇跡みたいなもの。

でも、今は、私たちはいつでも自由を選ぶことができるのだとわかっている。というか、やっとわかってきた。自分には選べないと信じたためにたくさん失敗を重ねてきて。こんな時でも!という時に愛を選ぶ人の姿を見せてもらってきて。

何が起こるかは選べなくても、自分をどういう状態にしておくかは必ず選ぶことができる。いつだって、愛を選ぶと決められる。

その力と責任をきちんと自分に認めることができたのは、私にとってはとっても大きなことだった。

もう失敗はしない!なんて断言は、したいけど、できない。
意識して選択しないといけない時って、たいてい、自分の体調や精神状態が良くなかったり、心の真ん中に近い大切な人や事柄がかかわっていたり、大きな弱点があぶり出されるようなシチュエーションだったり、何らかの形で揺らぐ要素があるものだから。

それでも、ちゃんと自分で選び続けようと今は思っている。
間違えながらでも、迷いながらでも。
運や奇跡に任せないで、自分を自由にしておけるように。

そして、そうやって選んだ自由を、つまりは愛を、ちょっとずつでも誰かにおすそわけして生きていけたらいいなと思う。

ニーナ・シモンみたいにステージでたくさんの人と分かち合うことはできないけれど、周りのだいじな人たちや、出かけた先で出会う人たちや、施術を通して、こんな風に書くことを通して。

ささやかな形でも、すれ違う一瞬だけでも、誰かと「怖れのない」世界を一緒に見られたら、すごく嬉しい。

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