教えること
どうやら地球の日だったらしい、4月22日。
「クラニオ・バイオダイナミクスの入口」、無事に終了しました。
晴れ渡って暑いくらいの気持ちの良い日でした。
「聴く」ことを教えるとなると知識や技術を伝えるのとはまたちがって、とにかく講座の時間の間、その感覚をいっしょに体感してもらうしかないと思い、当日、自分が「いま、ここ」にいられるように、来てくださった方たちとその感覚を共有して、必要なことがあらわれてくるスペースをホールドし続けられるように、そのための心と体の状態をできるだけ整えて、整えて、臨みました。
そういう意味では、クラニオの施術と同じような感覚でもあったのですが、施術では基本的に「聴く」こと、受け取ることだけに集中しているけれど、教える時はさすがにただ受け取っているだけではなく、あたりまえだけれど、しゃべったり説明したりもしないといけないわけです。
でも、そこで思考に引っ張られると、聴けなくなってしまう。なので、聴いているところと同じところから言葉を出そうとするのですが、それが、まあ、むずかしい!
私を通って出てこようとしてくれている大きなものをできるだけ損なわずに届けたいのだけれど、そのための言葉も能力も経験もまだまだ全然足りなくて、たぶん外に出ることができていたのはそのうちの20%くらいだった気がします。
勢いよく豊かに水が出ている蛇口を細いホースにつないでいるような、なんとも、もどかしい感覚でした。
でも、それが私の今いるところ。
そこからできることをやるしかないのです。いつだって。
つたない講座ではあったけれど、参加してくださった方ひとりひとりの内からあらわれてくるもの、その重なり合い、かかわり合いの中からあらわれてくるものを見せてもらえることは、ほんとうに美しく、嬉しい体験でした。
それはまさに「共同作業」で、その時、そこに集まったそのメンバーだから生まれてくるもの、行けるところがある。そこに連れていってもらえることが、グループで学ぶ場の醍醐味なのだと思います。
聴いて、聴かれて、お互いのプロセスにふれていく。
短い時間で、ほんとうにその「入口」をのぞいたかのぞかないかくらいでしたが、私にとってそうであったように、来てくださった方にとっても、内側で何かが動きはじめるような時間、空間であったならいいなと思います。
まだまだ足りないことだらけですが、ほんとうに分かち合いたいことを、ほんとうにやりたい形で分かち合うことができた、とても嬉しくて有難い経験でした。
オーガナイズとサポートをしてくれたMikis、会場を提供してくれたリラクゼーションくるりのばっしーさん、参加してくださったみなさま、ほんとうに、ありがとう、ありがとう。
今回やってみて感じたことも踏まえて、講座の内容や進め方もまたどんどん変えていこうと思います。
人前で話すことはこわいし毎回きっとドキドキすると思いますが、それ以上に生まれるもの、得られるものが大きいので、「教える」こと、機会があるかぎり、続けていきたいです。