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Moments of Clarity

できるだけ、真ん中にいられたらいいと思う。
そのほうが楽だから。
でも、実際はなかなか真ん中にとどまることはできなくて、たいていいつもブランコに乗っているみたいに揺れながら生きている。

揺れていてしんどいのは、体と心がちぐはぐになることだ。
誰にも迷惑をかけたくないと思えば思うほど、気を使い過ぎてかえって面倒なことになってしまったり。
ものすごくモテたいと思えば思うほど、魅力がつたわらない装いや言動になってしまったり。
自由でいたいと思えば思うほど、制約のある状況に飛び込んでいってしまったり。
言っていることとやっていることが、違ってしまう。
多分、その仕掛けは「思えば思うほど」のところにある。
片方に行こうと強く願って引っぱれば引っぱるほど、反対にもどる力も強くなる。
振れ幅が大きい揺れの中で生きていると、周りも混乱するけれど、何より自分がつらい。

何かを望んだら、ただそうと決めてそっちに動けばいいだけなのに、私たちはしょっちゅうそれを複雑にしてしまう。望みすぎて、がんばりすぎて、反動を生み出してしまう。

ものすごく好きで焦がれている人よりも、全然意識していないのに気がつけば隣にいたような人との方が関係がうまくいったりするのはそういうことなんだろうねえ…と思う。

長いこと、揺れることにたくさんのエネルギーを費やして、わざわざ大変な思いをしてきたみたい、と、ローズマリーに話したら、「今はどう?」と聞かれた。

うーん、今もまだブランコにはしっかり乗ってるよ。
でも、前はハイジのオープニングの歌に出てくるみたいな巨大ブランコだったけど、今はもうちょっと小さいブランコにはなったかも。

そう答えると、ローズマリーはにっこりした。

いつか、ブランコから降りることが可能なのかはわからない。
人間は生きていく限り、多少なりとも揺れ続けていくものなんじゃないかという気もする。
でも、それはまだブランコに乗っているから思うだけで、降りちゃったらそこにはまったく違う景色が広がっているのかもしれない。

いま自分が乗っているブランコはどんなのだろう、と想像してみたら、静かな森の奥で木にぶらさがっているのが浮かんできた。悪くないなあ、と思った。
木の枝が折れそうだから、ハイジの歌みたいにぐいぐいは漕げなそうなのがいい。鳥の声が聞こえてきそうなのもいい。

どうせ揺れるなら、気に入ったブランコに乗っていたい。
揺れ続けるのを無理にとめようとせず、がんばって漕ごうともせず、そうできるなら揺れることも楽しんで。
そうして、ふっと真ん中にとまった時に、そのしんとした感じとそこから見える世界のくっきりとした鮮やかさを全身で感じて、心のどこかに覚えておいて。
いつかずっとここにいられたら素敵だなあ。でも、そうでない今も味わい深いから、まあいいか。
そんな風に、深刻になりすぎないで、気楽に揺れながら生きていけたらいいと思う。

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