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もどってきたアミ

アミ 小さな宇宙人」の二作目、「もどってきたアミ」を実家で久しぶりに読み返した。

って、今、リンクを貼ろうと思ってアマゾンで検索したら、両方ともすごい値段でびっくり!絶版になってしまったのかしら。とてもいいシリーズだから、復刻してほしいものです。

アミのシリーズを初めて読んだのは多分もう10年以上前のこと。その時は今思えば、すごく頭で理解したつもりで読んでいた。それから、何度も何度も読み返しては、そのたびに違うところで涙が出たり、心が震えたり。その時の自分には何が一番腑に落ちるのか、響くのか、今の居場所を確かめては大切なことを思い出させてもらっている、私にとっては参考書みたいな本。

「もどってきたアミ」で、主人公のペドゥリートは、アミが前回教えてくれたことによって世界の見方が変わり始めている。ようし、わかってきたぞ、と思った時のエゴの感じが、すごくシンプルにはっきり書かれているシーンがあって、読んでいて身につまされる。

宇宙の基本法は愛だって知っているよ、と、いうペドゥリート。
知っているだけでは不十分なんだよ、実践しなくては、と、いうアミ。
自分は愛を実践していると心から自信を持っているペドゥリートに、アミは問いかける。

さっき君が考えたこと、望んだこと、それは愛なの?

それは、愛なの?

たずねるべき問いは、きっとそれだけなのだと思う。

若い頃はすごく頭でっかちに、知ることがすべてくらいに思っていた。知っていたらできている、と。今でも頭が先に立つことも多いけれど、もう少し生きてみたことで、知ることはゴールではなくはじまりなんだということがやっとわかってきた気がする。

自分が今、どう動いているか。何を言うか。どうあるか。
それは、愛なのか。
それだけ。

問いかけながら、進んでいく。気をつけながら。でも、自分を厳しく締めつけすぎないで、力を抜いて、よろこびや楽しさを大切にして。

簡単ではないけれど、不可能でもないはず。
だって、みんな、それをやってみるために生まれてきたのだから。

ずっと前、「きれいごとだけじゃ生きていけないんだよ」と、少し年上の友だちが冗談で言ったことがあった。
私は、できるならきれいごとだけで生きていきたいと思っていたから、その言葉に少しがっかりした。でも、世の中はそういうものなのかもしれないなと思いながら、仲が良かった別の友だちに「きれいごとだけで生きていけると思う?」と聞いてみたら、その子はちょっと考えた後に答えた。

「みんながきれいごとを信じていたら、生きていけると思う」

アミの物語を読むと、この言葉を思い出す。

みんなできれいごとを信じてみようよ。
ほんとうは、そっちの方がずっと難しいんだよ。
ほんとうは、それだけしか生き延びる道はないんだよ。
アミは、そう教えてくれているような気がするのだ。

だから、やってみよう。生き続けてみよう。
足は大地に、理想は高く、心には愛を持って。
忘れそうになったらいつだって本を開けば、アミは待っていてくれるから。

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