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Day.17 歌うとめぐるエネルギー

 久しぶりにマイクをもった。ひとりカラオケに行ってみた。この場所で歌うのは半年ぶり?いや1年ぶりぐらいだろうか?

 体はすごく疲れていたので、最初は歌いに行くかどうか迷った。いっこくも早く家に帰り着き、ごろんとした方が明日のためにはよいのではないだろうか?と頭では考える。だけど、心はすっかり行く気になっている。まあ仕方がない、行ってみるとするか。きっと歌えばエネルギーがまわるだろうし。ということで寄り道した。

 結果はやはり、「循環する」ということだった。自分を表現しているから?感情をのせて声に出しているから?声の振動のせい?自分を癒やせるのは自分の声だけだと言っている人もいたな。心地よい疲れはあるが、お店を出るときの足取りは、来たときよりも確かに軽い。

 それから、歌っていて以前と変わったことに気がついた。力が抜けている。いままでは、力一杯熱唱している感じだった。今日は自然と語りかけるように歌っていた。以前のような心奥底から、叫びが表出したような歌い方ではない。楽だ。

 力が抜けたせいか、いままで何回か挑戦したが、全く音がとれずに途中であきらめてしまった曲も、ふんふんと鼻歌を歌ような軽いノリで最後まで歌いきることができた。力んでない分、声の振動がいつも以上に心地よく広がる。

 歌いきることができるのは、耳がよくなったのもあるのだろう。音をよく聴くようになった。わたしが歌うときは、だいたい見えるガイドメロディを表示しているので、つい目に見える音の跳躍を意識して頭で次の音を考えて声をだしていた。そうなると、歌うことから離れてしまう。

 だけど、合わなくて何度かやり直したときは、ガイドメロディが見えない位置に立って、ひたすら伴奏を聴いた。そうすると、ここというタイミングで、これという声で自然に歌っていた。

 以前は自分の中に音がなかったから、音を聴いて合わせて声を出すということを何度やってもできなかった。なるほど、聞こえるようになってくると自分の声は自動的に耳から入ってくる音に合わせようとする。

 それをできる人がとても不思議だったが、もともと人間に備わっている機能の一つだったんだなと思った。だけど、わたしの場合は、さまざまな理由により、ある日、耳からの情報を遮断することでしか、生きのびる方法が見つからず、全く聞こえない人生をずっと送ってきたのだなと思った。

今日もお読みいただきありがとうございます。明日につなげます。

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