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連続テレビ小説『花子とアン』でみる英語教育 vol.2


現在平日の夕方に再放送している「花子とアン」


百姓の娘として生まれた主人公「はな」が、翻訳家として活躍するストーリー。

彼女は、日本人英語学習者及び小学校外国語授業を行う教員の良い参考になることに気がついた。


前回「英語学習者としてのはな」について考察した。



今回は、

小学校教諭としてのはな。



はなと子どもたちの間を「英語」が繋いでいた様子を考察したい。




修和女学校を卒業した花は、地元の甲府に戻り、母校で小学校教諭となった。

教師になっても、相変わらず破天荒なはな。校長先生であるかつての担任教師からは、相変わらず説教される日々。生徒たちにも笑われる始末。


しかし、はなは「英語で」信頼関係を築いていた。


はなのクラスの子どもたちが、英語を使ってはなとコミュニケーションを取り、信頼関係を築く姿を見て、今の日本の小学校でも同じようなことができると思った。


はなが子どもたちに教えていた英語は、「グッドモーニング」「アイラブユー」などの簡単なもの。さらにこれらの英語は、日常生活の中で自然に導入されたものである。


はなが東京の出版社に行くことを決め、教職を離れることになった時、子どもたちは「センキュー」「アイラブユー」とはなにメッセージを送っている。




このドラマでは、英語が「子どもたちの勉強する教科」ではなく、はなの「個性」として位置づいている。




今の小学校では、教員が子どもたちに英語を教えなければいけない、教員自身が英語を話せなければいけない、というプレッシャーがある。

しかし、それは現実的ではない。これから小学校教員になる人たちは別として、今まで英語教育と縁もゆかりもない教員が急に英語を習得することは極めて難しい。


「授業でしか」英語を使わない。

英語は「将来」必要だから。


教員自身が英語と距離を取ったり、英語と生徒の距離を遠ざけるのではなく、はなのように英語を日常に散りばめることなら、できるのではないか。



なんなら、教えたいことや知ってほしいことを生徒たちの生活に馴染ませる技は、小学校教員の武器である。



例えば、外国籍児童のいるクラス運営。

外国籍の子どもたちがいるクラスでは、その子の文化について話す機会があったり、さようならの後に「再见(zài jiàn ザイジィェン)」と挨拶する、といったことが日常的に行われている。



英語でも同じようなことができるのではないか。




子どもたちの生活の一部として、英語を導入するということは、英語を使用するという「自然なコンテクスト」を生み出すことができる。


これは、今の日本の英語教育で重要視されている学習環境である。


毎日帰り際に「グッバイ」と言っていれば、それは生徒たちにとって当たり前になり、「さようならはグッバイと言うんだよ」と教える必要はなくなる。




『花子とアン』では、日本人の英語学習や日本の小学校英語教育における具体的な手立てが、わずかばかりではあるが示唆されているように思った。




2021年度後期には、「カムカムエヴリバディ」というラジオ英語講座についての朝ドラが始まる。楽しみ。

画像引用:https://www6.nhk.or.jp/drama/pastprog/detail.html?i=hanako


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