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現代において必要な能力とかなんとか

世の中に溢れるビジネス本や自己啓発本などは、仕事/生きるうえで大切な必須スキルについて教えてくれる。タイムマネジメント力、ロジカルシンキング、プレゼンテーション作成術etc...確かにこうしたスキルが役立つシーンもあると思う。
ただ、ここ最近はそうしたスキルよりももっと本質的に大切だと思っているものがある。それは、「忍耐力」、「知的体力」、「謙虚さ」、「美学」である。変化の激しい現代において、人間が備えるべきは特効薬的なスキルではなく、こうした普遍的な基礎能力だとつくづく思うからである。

忍耐力

一つ目は、忍耐力である。言い換えると耐え抜く力、やり切る力、GRITなどとも呼ばれているものでる。自分に言い訳をつくのは簡単である。人間は自分自身に不利に働くことについては、極力その問題から避けようとする。だからやってみた途中、少しでも精神的体力的な負荷がかかると諦めにはしるのが人間の性である。
さらに、人間は意外と長期的に得に転じる事象に関わることを苦手とする生き物だ。不確実な未来のために苦痛を得るくらいなら、今の苦痛をできるだけ軽減したいと考える。だからこそ精神を長く保ち続けることが難しいのである。
それでも、やはり何かを成し遂げるためには、我慢強く取り組み必要がある。一朝一夜にしてできるものなど高が知れている。目標目的に向けた強い意志と、トライアンドエラーを繰り返しながら進み続ける耐力を持つことが重要なのである。
忍耐と聞くと苦痛を伴う作業であるような気がしてならないが、決してそう言うものでもないらしい。有名なマシュマロテストで2つのマシュマロを獲得できた子供たちも、苦行をするかのように耐え抜いたのではなく、何か他の楽しいことを考えながら時間を過ごしたりと、ポジティブな要素をうまく織り込んでいた。だから、忍耐力は決して気を重くしないと鍛えられないものではなく、遠くのワクワクする目標に向かって身近なドキドキするタスクを淡々とこなしていく、そんな能力のように思う。

知的体力

VUCAの時代とも言われるほどに予測困難で移り変わりの激しい時代を生きる私たちにとって、新しい情報を適切に収集していく力や、常に自分が会得した知識について疑い続け、新しい概念を取り込む力は重要である。これらを私は知的耐力と称したい。
一つ目の新しい情報を適切に収集していく力は、情報が有象無象と溢れかえるこの社会で、どれだけ自分にとって最適な情報を選び抜くかという問題に通じる話である。特に情報が多い世の中では、収集することよりも、むしろ捨てることに意識を注ぐ必要がある。
不必要なもので頭と時間を埋めてしまうのは勿体無い。毎分鳴り響く通知音、興味をそそるヘッドラインに惑わされると、無益なニュースの餌食にされてしまう。一方で、信頼性の高い情報に手を伸ばすには、一元情報にあたったり小難しい論文を読んだりと一段とハードルが高い。しかし、そうだからこそそれらに耐えうる知的体力が大事である。
二つ目の自分が会得した知識について疑い続け、新しい概念を取り込む力は、情報収集力よりもさらに難易度が高い。人間は得た知識を積み重ねながら脳内フレームワークを構築し、その枠のもとでさらなる知識を獲得する。だから、これを一度壊して再構築するのは至難の業である。
人間は大人になればなるほど知識や経験の量に比例してわかった気になるし、いくら新しい概念でも既存の概念に統合して考えてしまう。これはもちろん、効率化という武器を手に入れるためには非常に有効に機能している。しかし同時に、新しい概念に対する感度を損ねてしまうリスクを伴うことを理解することが大切である。
決まりきった常識が崩壊し新しい社会への移行を進める今の時代を生きる私たちにとって、知的体力は非常に重要である。

謙虚さ

謙虚な人は、どこまでいっても他人の良い点を探し出し、貪欲に吸収しようとする。さらに、自分を常に省みる技術を持っているので、決して成長を止めない素直で柔軟性のある心を持てる。
真に謙虚な人間は、人間的魅力が溢れている。言葉一つ一つにおける理性と感情のバランスが良い。決して他人を蔑むことなく人それぞれの良い点を確実に見つけることができるから、社会全体に公益をもたらしてくれる。こうした働きは多くの人たちを引き寄せる。だから自ずと協力の輪が広がり、多くの仲間と共に大志を実現できるようになる。
反対に、傲慢な人間はいくら足掻いてもその成長には限界があると思う。なぜなら、傲慢な人間は自分の優位性をいかに保てるかということに執着し、その判断基準のもとで人間関係を捉えたり、情報を都合よくかき集め解釈したりするからである。そうなると彼らは、社会に対して歪んだ認識をしてしまうことになる。こうなると、どれだけ自分にとって絶好の成長の場が用意されたとしても、十分にその環境を活用できず、しまいには環境や他人のせいにする非常に貧しい人間になってしまう。

美学

人文学に触れていると、真善美について何度も考えさせられる。時代や所属、個人の性質などあらゆる条件が変数となるので、人間に画一して存在する絶対的な真善美は存在しない。だからこそ自分自身が、何に心が反応するのか、言い換えると自分自身の「美意識」と常に向き合う必要がある。美意識を磨き続けることで、人間は行動に一貫性や自分らしさを見出すことができる。
論理的に物事を考えることも非常に重要な世の中ではあるけれど、ロジックだけでは賄えない倫理、道徳的価値観を考慮しなければ、自分自身を失うことになる。人間は愚かな生物だから、自分の都合の良い論理を並べられると盲目的に従ってしまうきらいがある。それが自分にとって影響力の強い人間の発言だったり、環境要因が何らかの形で強制力を持つと、強力な引力となってしまう。
自分は何のために生きているのか、そのような問いに答えられないまま人生を終わらせてしまわないためにも、常に研ぎ澄まされた真善美を感覚器官として持つことが重要である。世界にあるたくさんの美しいものを美しいと認識できるのは、結局自分の心である。

さいごに

社会や流行が変わるスピードが加速度的に高まる中、自分自身の在り方や社会との関係について再考していると、バズワードは少しも現れない。スキルとか能力とか力とか、今書いたことを指す言葉を的確に表現してくれる言葉は正直わからないけど、本当に必要なものは上述したような「忍耐力」、「知的体力」、「謙虚さ」、「美学」といったものではないだろうか。


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