時間切れ!倫理 118 日蓮
鎌倉時代の後半に現れたお坊さんが日蓮(1222~82)です。著書は『立正安国論』。日蓮も比叡山延暦寺で修行をします。延暦寺の中心的なお経は法華経でした。彼はそれを学び法華経こそが唯一正しいお経だと確信し、これを中心に新しい宗派を開きました。これが日蓮宗です。
日蓮は強烈な個性の持ち主だったようです。他の宗教者と特に異なっているのが、政治への強い関心です。法華経の教えによって日本を変えたい、当時ですから具体的には鎌倉幕府を動かしたい、という強い情熱があって、自分の主張を執権北条氏に訴えようとした。著書の『立正安国論』は執権北条時頼に提出したものです。鎌倉の街の辻に立って、説法を開始した。忖度なしに他宗派を攻撃、幕府に物言いをつけ、法華経に従って政治をおこなえと訴えました。状況や人を見て教え方を柔軟に変えるということは一切せず、誰に対しても、自分の主張を真正面からぶつけていく。そういう印象が非常に強い。世界を敵に回してもたった一人で戦っているような、その強烈な姿勢に魅力を感じる人もいたのでしょう。幕府にとっては、ただうるさい存在だったのでしょうが、徐々に日蓮の支持者も現れるようになると、幕府は弾圧して流罪にします。
「私の言うことを聞かなければ、日本に危機が訪れるぞ」と日蓮は政治批判を続けますが、やがてモンゴル軍が襲来してきた。元寇です。これに対して日蓮は「私の予言が当たったじゃないか、法華経によらないからこうなるのだ」と言っています。
宗教によって政治を動かしたいというパッションを持った人でした。日蓮のようなひとは他にいない。日蓮宗と政治的な情熱は結びつきやすいのでしょう。戦前、戦中の人ですが、北一輝や石原莞爾が、あえて日蓮宗信者として語られることは多いです。宮沢賢治も日蓮宗でした。
唱題というのは法華経の名前を唱えることです。「南無妙法蓮華経」と唱える。そのことによって救われると説く。これは浄土宗の影響ですね。
※『大正史講義文化編』(筒井清忠編、ちくま新書、2021)におさめられている「宮沢賢治-生成し、変容し続ける人」(山折哲雄)には、「雨ニモ負ケズ」の宮沢賢治の自筆原稿の写真が載っている。
「雨ニモ負ケズ」の詩にすぐ続いて「南無妙法蓮華経」と書かれていて、山折氏はこの部分も詩に含まれていると主張している。詩の全体を載せておくが、自筆原稿の写真でその迫力を感じてほしい。
北ニケンクッヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ(※)
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩 南無多宝如来
南無妙法蓮華經
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
※「ヒデリ」ではなく「ヒドリ(日雇い仕事)」だというのが山折氏の説
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