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時間切れ!倫理 149 文学 北村透谷

文学

 ここでは北村透谷、夏目漱石、森鴎外を紹介します。この三人はほぼ同世代、1860年代に生まれていますが、活躍は北村透谷がうんと早く、しかも26歳くらいで死んでいる。北村透谷が亡くなってずっと後、夏目漱石と森鴎外は、中年以降に活躍してその名を高めていきました。したがって活躍時期は2、30年ずれていますが生まれたのはほぼ同年代。
 北村透谷は、自由民権運動に身を投じた人です。薩長藩閥政府に対抗して、権利や自由を獲得し、議会制度を定着させようとしたのですが、1880年代後半、自由民権運動は明治政府によって弾圧され、潰されていきました。激化民権といって、一部の民権活動家は極端な実力行使に走るのですが、そのなかのひとつに大井憲太郎による大阪事件というものがあります。北村透谷は、この事件への参加を誘われたのですが、腰が引けて断った経験もあります。
 北村透谷は、自由民権運動で挫折を経験したわけです。自由はどこにあるのか、と考えた時に、北村透谷は心の中の自由に活路を見出します。悪く言えば、心の中の自由に逃げた。自己は心の内部の「想世界」の充実を通じて確立される、という立場から、文芸評論的な文章を書き、若者たちの心をつかみました。
 では心の中の自由とは何であるのか。政治を離れて、心が一番躍動するのは恋愛をしている時です。したがって、恋愛こそが素晴らしいのだ、と彼は文芸評論の中で訴えます。たしかに、小説を読んでも、テレビドラマを見ても、恋愛ものが一番多いし、楽しいですよね。
 「恋愛は人世の秘鑰(ひやく・鍵のこと)なり」と北村は言った。彼自身も、大恋愛をして、周辺の反対を押し切り結婚をしています。
 北村透谷はキリスト教の洗礼を受けており、キリスト教系の明治女学校で教壇に立っています。同じ学校で共に教壇に立ち、また文学上の仲間でもあった人物に、島崎藤村や馬場孤蝶など、後に名をなす文学者たちがおり、若い女子学生に囲まれた彼らの若き日々は、日本史上初めてあらわれた「青春」といった感じです。(島崎藤村の『春』はまさに明治の青春を描いています。)
 明るい雰囲気で話しましたが、とはいえです、北村透谷は、心の中の自由とは言うものの、そこにしか自由がないというのが、現実の日々です。したがって、恋愛に自由を見いだすという考え方にも行き詰まって、最終的には26歳の時に、首を吊って死んでしまった。ある朝、大恋愛をした妻が、庭の木で自死している北村透谷を発見したという。明治前期の精神の、一面を象徴するような生涯だったと思います。

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