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時間切れ!倫理 112 平安時代の仏教2 空海

(イ) 空海
 空海も遣唐使船で中国に行き、2年間ほどしっかりと勉強をして帰ってきます。宗派は真言宗。建てたお寺が高野山金剛峯寺。京都出張所が東寺。  空海は最澄と同じ遣唐使で中国に行きました。遣唐使は4隻の船で行くので、二人が同じ船に乗ったわけではありませんが、同時期に中国に行った。最澄は短期留学で帰ってきますが、空海は2年間しっかり勉強して帰ってきたので、最澄よりも空海の方が学問のレベルが高い。そのことはお互いによくわかっている。最初はお経の貸し借りをしたりして仲良くしているのですが、やがて人間関係がこじれてしまって最終的には絶交になります。
 空海は天才だったようで、真言宗を完璧に作り上げました。最澄は短期留学でゴッソリとお経を持って帰っただけだったので、天台宗の教えはかっちりとした体系として出来上がったものではありませんでした。教義にはまだまだ未完成の部分、考究の余地があったので、のちに天台宗・延暦寺からは様々なお坊さんが出ます。法然、親鸞、日蓮、栄西など。個性豊かなお坊さんが、天台宗から育ち独自の宗派が生みだされていきました。そういう意味では発展性があった。
 逆に空海の真言宗は完璧すぎたので、全てその中で完結してしまって、そこから新しい考えや教え、宗派が生まれることはありませんでした。
 空海は中国から密教を持って帰りました。密教はインドで6世紀から7世紀頃に成立したもっとも新しい大乗仏教の形式で、いわば最新流行の仏教でした。それを持って帰ったわけです。密教の密は秘密の密ですね。密教に対してそれまでの仏教を顕教といいます。顕れている、教えがはっきりわかっているという意味です。密教は秘密の教え。
 何をやるかというと曼荼羅という大きな絵を掛けて、その前で様々な儀式を執り行います。指で様々な印を結びます。仏像を見ると指で様々な形を作っていま。あれが印です。形によって様々な意味があります。さらに真言を唱えます。真言はマントラともいい、呪文のことです。そして心の中で仏の像をイメージします。印と真言と心の中で仏を念じる、この三つのことを三密といいます。密教では三密によって、即身成仏、 生きたそのままの姿で仏になれると教えます。
 即身成仏の本来の意味はこういうことなのですが、やがて僧侶が自死することを、即身成仏と言うようになる。江戸時代に東北地方などで比較的多く見られたといいますが、地面に穴を掘ってその中にお坊さんが入って蓋をして上から土をかぶせて、自ら生き埋めになります。穴から節を抜いた竹を地面に突き出しているので、息だけはできる。この穴の中で三密をします。水と食べ物はないので何日後かには餓死するわけです。これを即身成仏といった。東北地方には、このようにして即身成仏したお坊さんのミイラがたくさん残っています。
 空海は、このような形ではないと思いますが、即身成仏したとされており、現在でも高野山の一番奥の建物には、即身成仏した空海の遺体が安置してある。ミイラ化しているのだと思いますが、教義上は永遠の仏として生きているので、現在でも毎日、即身成仏した空海のもとに、食事を届けているそうです。
 話がそれてしまいましたが、三密によって即身成仏を遂げることが密教の中心的な教えです。教えの上では、これによって宇宙の真理である大日如来と一体化するということです。
 一方で、空海は、具体的な現世利益に訴えることによって、貴族たちの信仰を集めました。密教の儀式を執り行うことによって様々な利益があります、と教えることで支持を広げました。空海は学問的にも天才ですが、布教のツボも心得ています。豪華絢爛な儀式を執り行って貴族や天皇たちの心を魅了しました。天皇や貴族たちは空海を支援します。その支援によって空海が京都における布教の拠点として建設したお寺が東寺です。新幹線に乗っていると京都駅の南に東寺の塔が見えますね。京都のシンボルのようになっているお寺です。ここを拠点に盛んに布教をしました。このようにして国家権力とも上手に結びつきました。
 密教の世界を図像化したものが曼荼羅です。金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅があるのですが、どちらも円の中に仏様がたくさん描かれている。これが宇宙を表している。僕にはその意味は全く分かりませんが、意味するところはさておき、当時の貴族たちが見たらものすごく絢爛豪華な絵だったのでしょう。それを壁にかけて、きらびやかな様々な法具を準備して儀式を執り行いました。
(ウ) 最澄・空海の歴史的意義
 最澄と空海の仕事にはどんな意義があったのでしょうか。一つは中国から最新の仏教をもたらしたこと。
 次に、彼らは仏教の教義を内面化していました。ただ学問だけをやっていた奈良時代の仏教を批判します。学問としての仏教ではなく、実践としての仏教になっていきました。
 さらに政府からの自立性を確保します。空海も最澄も政府から支援はされます。彼らは政府の支援は受け入れます。加持祈祷をしてくれといわれればします。ただし、それまでの仏教と違うのは、政府のいいなりにはならず、ある程度政府から自立をします。
 京都にいては政府の影響下に置かれてコントロールされてしまうので、彼らは京都から離れた場所に本拠地を築きます。空海の高野山は今でも非常に不便な場所ですね。最澄の比叡山は京都から近いといえば近いですが、比叡山の山の上に寺を築きます。しかも延暦寺の場所は比叡山といっても、現在の滋賀県側ですよ。これが、彼らが自立化しようとしていたことの表れです。さらに最澄は大乗戒壇という、独自の戒壇設立を目指したことは前回お話ししました。これも政府からの自立性の獲得といえます。


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