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{ 23: 輸送 }

{ 第1話 , 前回: 第22話 }

なにかにしばけられていた。もぞもぞと体を動かせるけど、それ以上はムリだった。クッション付きの寝台しんだいの上にかされているようで、しばられていても寝心地ねごこちだけはよかった。ときたま寝台しんだいごと体が上下左右にれている。もしかしたら車の中にいるのかもしれない。

春樹は目をあけた。やはり車の中だった。寝台しんだいを置けるだけあって、車内はかなりの広さだ。天井てんじょうは、立ち上がらなければ、手も届きそうにない。電灯が車内を照らす一方で、窓は黒い布でぴっちりおおわれていて、外の光はまったく入ってこなかった。

春樹の右腕みぎうでには針がささっていた。そこからチューブがびて点滴てんてきぶくろにつながっていた。救急車の中にいるみたいだ。事実、車内は救命医療いりょうの機材でごったがえしていた。車体側面のたなには、春樹が理解できるものだけでも、酸素ボンベと酸素マスク、点滴てんてき用の器具、心電図のモニター、血圧計、救急箱などがあった。目を細めてよく見れば、機材のかたわらに春樹のメガネも置いてある。春樹は、車体の反対側に備えつけてあるベンチにハリ孝之たかゆきが座っているのを見てとり、それから天井てんじょうに視線をもどした。

「現在、車で君を輸送中だ」
 聞いてもいないのにハリが説明した。
「東京を出る。かなり時間を要するので我慢がまんしてほしい。具体的な目的地は教えられないが、注射刀をつくっている秘密工場のそばとだけ説明しておこう。この意味はわかるね?」

なるほど……工場で、直接、ぼくの血をしぼるということか。血液の結晶けっしょうにも鮮度せんどというものがあるのかもしれない。

「やっと、新しい注射刀の生産のメドが立った……」
 ハリは言った。
「君の血で作った注射刀ができあがれば、治安隊はもっと安全に戦える。いや……もはや、敵を殲滅せんめつすることさえ夢じゃない。ユウナ博士の不断の努力、それに春樹君の献身けんしん賜物たまものだ」

献身けんしん? 二ヶ月の間、なぐられ続けることを献身けんしんと呼ぶのか、この人は? 

「今日で君ともおわかれだ」
 ハリは続けた。
「私は、この任務から外れることになった。君を護衛し、目的地まで送り届ければ、それでおしまいだ。君をなぐることは、もう二度とない」
 ハリ拷問ごうもん担当官殿どのは、春樹に向かってウィンクしてみせた。
「でも、安心してほしい。君をどう痛めつけたらいいか、新しい担当官にちゃんといでおいたから」

それから三十分間、春樹はひとこともしゃべらなかった。

いくらクッションがやわらかいといっても、ずっと同じ姿勢でいるのはつらかった。春樹はたまに寝台しんだいの中で体を動かそうとしたけれど、体をしばられているせいで、寝返ねがえりすらできない。とはいえ、なわでぐるぐる巻きにされているわけでもない。毛布の上からベルトを巻いて、体を寝台しんだいに固定しているだけだ。無理に体を動かせば、きっとせるだろう。でも、すぐそばに見張りがひかえているので、すのは不可能だった。もとよりそんな気力、つゆほどもいてこないが……

さらに時間が経った。目を覚ましてからどれほど時間が経ったのかもわからなくなったころ、車の走行音にまじって、コトッという音を聞いたような気がした。あたりを見回してみたけれど、点滴てんてきふくろがすっかり空になっていることを除いて、車内に変わりはなかった。ハリもうでを組んでベンチに座ったままだ。運転席で何かが落ちたのだろうか? 体を寝台しんだいに固定されているせいで、そちらを見ることはできなかった。どちらにしろ異常はないようだ。気のせいだったのだろう。そんな風に思ったところで、もう一度コトッという音を聞いた。

聞き間違まちがえではないようだ。今度は、ハリも音に気づいて、あたりを見回した。ふたりの目が合った。春樹が同じようになにかを感じ取ったと気づくにいたり、ハリも聞き間違まちがえでないと確信したようだ。

「いま、なにか……」

ちょうどそのとき、車が減速した。信号で停止したのだろうか。またコトッと音が鳴った。音は、車の天井てんじょうからだった。

「まずい!」
 ハリが運転席に向かってさけんだ。
「上にだれかいるぞ! 車を停めるんじゃない」

だがおそかった。とんでもないことが起こった。春樹の体が、急に横回転した。何者かが春樹の寝台しんだいを持ちあげ、たおそうとしているのだ。いや、ちがう……それは見当ちがいもいいとこだ。車内には、ハリと運転手しかいないのに、いったいだれがそんなことをできるというのだ? たおれているのは寝台しんだいじゃない。なんと、この輸送車そのものだった。

車は、ガタン、ガコンというおそろしげな音を立てて、あっという間に横転した。運転席からさけごえが聞こえた。春樹は、生きた心地がしなかった。体をしばられたまま、寝台しんだいが車体の側面に向かってすべちていったからだ。このままだと、車体と寝台しんだいの間で体がしつぶされてしまうけど、春樹にはす術がなかった。

さらなる悲劇が起きそうだった。寝台しんだい横滑よこすべりしながら落ちていくということは、ベンチに座っていたハリと春樹が、寝台しんだいごと激突げきとつするということでもある。春樹はそれでいいと思った。たとえ自分の体がつぶれたとしても、その価値はある。

「くそが!」

きたいた反射神経と判断力ですでにシートベルトをはずしていたハリは、体をひねってギリギリのところで寝台しんだいをかわした。運転席からガラスの割れる音と、さけごえがふたたび聞こえた。さけごえというよりも、首をつかまれたにわとりの悲鳴のようだと春樹は思った。

車体は、横転したあとピタリと止まった。それでも車体のきしむ音はしばらく止まず、窓がアスファルトにしつぶされる音も聞こえた。たなからは、用具箱やらモニターやらが落石のように降ってきた。車内はあやうく大惨事さんじといったところだけど、せめてものすくいは、春樹がかべとの激突げきとつをまぬがれたことだろう。台車は地面に対して真横にたおれた状態で、春樹は毛布にくるまった状態で宙ぶらりんになっていた。

「な、なにが起きた!」
 あやうく寝台しんだい下敷したじきになりかけたハリが、運転席に向かって声を張った。
「周りの状況じょうきょうはどうなっている? 他の車両から応答はないのか? どうした……答えるんだ!」

運転席から返事はなかった。

襲撃しゅうげき……? そんなばかな!」
 ハリから、恐怖きょうふと混乱の入り混じった声が聞こえた。
「ありえない……おとりの車両をほかに三つも用意して、この車だってわざわざ遠回りしているんだぞ。まさか計画がれて……?」

ハリは、その場で起き上がると、向かいのたなから落ちて来た医療いりょう箱や血圧計を蹴飛けとばしてから、車のうしろの観音とびらをこじ開けた。ガシャンと、とびらとアスファルトとのぶつかる音がした。寝台しんだいにしばりつけられたままの春樹を残し、ハリは外に出ていった。

「だれかいないのか!」
 ハリの声が聞こえた。
「生き残っている者はいるか? 返事をしろ!」

しばらく耳をすませてみたものの、だれの返事もなかった。

「ま、まさか全滅ぜんめつしたのか!」
 ハリの悲痛の声だ。
「くそ……出てこいバケモノめ!」

車内の静寂せいじゃくとは裏腹に、外がさわがしくなった。ハリと襲撃しゅうげき犯との戦いが始まったようだ。相手は、あの動物面のテロリストだろうか? まぁ、だれであってもかまわないのだけど。ハリが敵を返り討ちにして自分の輸送を再開しても、テロリストが勝利して武器の原材料である自分の息の根を止めたとしても、もはや春樹の関心事じゃない。なんなら、このままねむってしまおうか? そう思いはしたものの、車の外から雄叫おたけびのような声、悲鳴、何かがぶつかった時の衝撃しょうげき……およそ人間が戦っているとは思えない音がして、ねむるどころじゃなかった。体を横にしたまま宙吊ちゅうづりになっている今の状態だって、安静とほど遠い。

春樹は仕方なく、毛布の中から左腕ひだりうでをだした。それから体を寝台しんだいしばけているベルトのバックルのボタンをして、自分の拘束こうそくを解いた。上半身だけが、寝台しんだいからすべりおちて、車のかべにぶつかった。下半身がまだ寝台しんだいに固定されたままで、余計つらい状態になった。

「そうか……こしの下にもベルトがあったのか……」

春樹は、すっかり重たくなった体をなんとか折り曲げて、太もものところにあったベルトのボタンをした。今度こそ寝台しんだいからはずれ、体がドスンと落ちた。

そのまましばらく車のかべに転がっていたけど、ずっとそうしていても仕方ないので、春樹はその場で手をついて起き上がった。奇跡きせき的にも自分のメガネがすぐそばに落ちているのに気づいた。春樹はメガネをかけてから、点滴てんてきの注射針をうでからいた。うでから血が垂れてくるのにもかまわず、横転した車内を歩いた。たなから落ちた心電図のモニターをまたぎ、片側だけ開いていた観音とびらから外に出た。

あたりは真っ暗だった。車の走る音が聞こえなかったので、夜だとわかっていたけど、もう真夜中のようだ。雑居ビルにはさまれた片道三車線の通りには、人通りも車もまったくなかった。街頭が、オレンジ色の光を夜道に投げかけていた。

春樹の護送車と並走していたと思わしき黒いバンが、二台とも道端みちばたで横転していた。その回りに、オリーブ色のチョッキを装備したカンパニー治安隊が数名たおれていた。春樹を輸送していた車は、運転席のとびらが引きちぎられていた。運転手と思わしき隊員が上半身だけ引きずりだされていて、タオルでも干しているかのように体を折れ曲げた状態で車体に引っかかっていた。生きているのか、死んでいるのか、わからない。

静かだった……眼の前で死闘しとうを演じているふたりを除けば、月も星もなく、くもりがちの静かな夜だった。秋にかったとはいえまだまだ生暖かい夜風を春樹は思い切りんだ。二ヶ月ぶりの外の空気だった。


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