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「絶対」傷つかない方法。

映画『心のカルテ』をみて
安全地帯は自分でつくるもの。


『心のカルテ』は、摂食障害を抱えている20歳の女性が、ある医師に出会いグループホームで生活して、仲間や家族と向き合っていくという話。

主人公の女性の摂食障害は、食べ物を拒否して、食べ物のカロリーを正確に言い当て(高カロリー=太る)たり、ガリガリなのに必死に筋トレして痩せようとしていた。その姿を見て抱きしめたくなった。もう頑張らなくていいよって。


グループホームの先生が型破りで、患者に同情も哀れみもしない。後半の先生の言葉がすっごく刺さった。

「どこかに安全な逃げ道があると思ってるなら幼稚な臆病者だよ。素晴らしい体験をするチャンスを逃してる。

楽になるの待っていちゃダメだ。人の助けなんてあてにするんじゃない。
嘘をつくやつはあなたには必要ないし、理不尽なことなんてたくさんある。
それでも跳ね返す強さが必要だ。
辛い現実に立ち向かうことで人生は素晴らしくなる。」


これを聞いたときに、病人にそこまで言う?って思った。だけど、実際は先生の言う通り、どんな悲しい出来事が起こっても、自分で自分を守るしかない。

むしろ、彼女は自分を守ろうと摂食障害になってしまったのではないのかと思うんだけど。先生は彼女に強く生きてほしいんだ。

彼女は先生に、家族の問題を解決して、家庭に自分の居場所を作り、大学に復学できるようして、今までのような苦しい日々ではなく、笑いの絶えない楽しい日々を用意してほしかったのだろう。

だけど、先生から出た言葉は期待していたのと真逆だった。

その彼女は、驚く行動に出る。

グループホームを出ていく。仲間に「あの先生はインチキだよ。治すどころか自分でなんとかしろって言ってきた。ここに居たって治らない。」って言い捨てて、バスに飛び乗った。そして、向かったのは一番仲が悪かった母親の待つ家。

なんかもう、このままじゃダメだ、向き合わないと、話し合ってみようってバスの中で考えたんだろうな。だって、頼みの先生があてにならないんだもん。


目の前の問題を解決するのは、逃げることじゃなくて、相手や誰かに取り持ってもらうんじゃなくて、向き合うことなんだなって思った。

ついつい、めんどくさいとか、どうせ分かり合えっこないとか、そのうち良くなるって思ってしまう。彼女だって、そのひとりだったはず。「しょうがない」ってあきらめるんじゃなくて、話してみる、聞いてみることって思ったより大切なこと。

お母さんと向き合うチャンスを自分で作ったことで、乗り越えるチャンスや自分の中で新しいお母さんのポジションができるんじゃないかな。


最初に、「抱きしめたくなった。もう頑張らなくていいよって。」って思った私の方が無責任かもしれない。彼女をかわいそうだと思って同情したりして。

強い気持ちで彼女を思い事実を伝えた先生の方が、この先彼女がひとりででも生きていける力を授けられた。

先生の言う、素晴らしい人生になるのって希望があるな。

面倒で向き合ってこなかったことってたくさんあるから(笑)




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