あるがまま哲学ー「あるがまま」と禅のこころ

砂塵舞うインドの大地から生まれた仏教思想は、中国に至り壮麗かつ観念的な華厳思想を経て、禅を生んだ。これも、中国のやはりカラッとした風土に根ざしたものだったような気がする。

ここに至って、中国人に合ったより直観的、体験的、行動的な禅が生まれたということになろう。

ここでは、過去にも未来にも、よって生死にも惑わされず「いま、ここ」の直観に集中する。
今の一瞬が、無限の時間そのものだ、ということに気づく(平常心是れ道、日々是好日)。
「あるがまま」の世界である。
ここに無心や無分別、無功徳といった禅を特徴づける概念?が生まれた。

あれ、いつのまにか概念に戻ってしまった。現に、観念的なもの(言葉)から離れたはずの禅は、無心や無分別といった直観的なものを説明するため、あの観念遊戯ともいうべき無数の禅問答を生み出すという矛盾を孕んでいる。そこで、理屈をこねず、ひたすら座禅をしろというあやしく危険な道に戻ってくる。

言葉にすると本質から離れてしまうと言いつつ、言葉に戻り、自縄自縛になる。人間とは、誠に厄介なものだ。

しかし、この矛盾を乗り越えようとするところに、犬や猫の無心やあるがままでなく、人間にしか至りえない「あるがまま」の境地を目指そうとする。これが禅なのかもしれない。

もちろん、自分もこう分かったような言葉に書いているものの、全く分かっていない。永遠にこのあたりをウロウロするのが、凡人かも知れない。
#禅 #あるがまま#平常心#日々是れ好日#無心

今回参考にした著作

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