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10月13日は「引っ越しの日」

トントン

このボロいアパートの201の部屋のドアが鳴る。ドアの隣にはボタンを押すとブザーがなる装置が付いているが、現在はいくらボタンを押してもブザーはならない。以前の住人が住んでいたころはまだ、ブザーはなっていたようだが、僕がこの部屋に引っ越してきてすぐに、ブザーは鳴らなくなった。

どうして鳴らなくなったのかは不明だし、逆に今までどのような仕組みでブザーが鳴っていたのか知りたいとも思わない。スマホに電波がきてなぜ無駄なコミュニケーションが取れるのかが知りたくないのと同じくらい、知りたくない。

なのでドアの隣のボタンは世界で一二を争うほど無駄なボタンだ。押した人のその日一日のほんの少しの体力を削るくらいしか意味がない。その人の体力が100だった場合は、99くらいにはさせることができるかもしれない。

恐らく今ドアをノックしている人も、一度はボタンを押したはずだ。そうして何の反応もなかったから、仕方なくノックをしているのだ。ちなみの僕はドアをノックするのが苦手だ。上司の部屋に入るときに、どの程度の力でドアをノックしていいか分からないからだ。強すぎると、こいつ握手の力が強いアメリカのサラリーマンかと思われそうだし、ノックが弱すぎると上司に気が付かれずにいつまでたっても入室できない。

さて、正しいノックの強さとは……

そんなことを思いながら、

トントン

と聞くノックは、それはそれは心地のよい丁度いいノックだった。美人でもブスでもないちょうどいい女子大生、ちょうどいいサイズの和風ハンバーグ、ちょうどいい大きさのお地蔵様。

そのくらいちょうどよかった。

僕はだいたいが、部屋をノックされても出ない。宗教の勧誘だったり、布団圧縮袋の押し売りだったりで、迷惑な人しか来ないからだ。

だがどうだ。今回のこのノック。かなりの手練れだ。なんせちょうどいいのだ。

僕はドアにそっと抜き足差し足で近づき、ドアにあるのぞき穴で相手を確認した。しかし、そこに見えたのはただの暗闇だった。そうだった、以前に先輩のいたずらでのぞき穴にガムを詰め込まれたままだった。

仕方ない、相手を確認できないが開けてみるしかない。

ゆっくりとカギを開け、ドアを開いた。

そこにはシーサーが立っていた、シーサーというと沖縄に住んでいる四つ足の、僕の記憶では座って家の入口で何かから家を守っている印象だったが、今目の前にいるシーサーはしゅっとした二足歩行で、頭がいわゆるシーサーだった。そうしてTシャツはニルヴァーナのあのTシャツだった。

隣に越してきました。とシーサーは言い、手土産にちんすこうをくれた。礼儀正しいシーサーがお隣さんで安心した。

10月13日は「引っ越しの日」


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