5月20日は「ローマ字の日」
Qくんは、湿度の高い彼女の手の中できゅーっとなっていた。ダジャレになったが、実際問題としてAくんからZくんのうち、Qくんは家を出た。
距離感がそれじゃなくても掴みづらい「いとこ」というポジションの、マユちゃんが家に遊びにきた。お母さんとおばさんは荷物を置くとすぐに、だんなのはなしや、ろーんのはなしや、こうねんきのはなしをはじめた。仕方ないので僕はあんまり一緒に遊びたくないけど、マユちゃんと遊ばなくちゃいけない。
「なにして遊ぶ?」と僕は尋ねる。
「……」
人見知りという言葉を学校の国語辞典で引く前に自宅で母に教わった。マユちゃんには優しく。あんたのほうが歳が上なんだから、面倒みなさいよと言われた。そういう点からして、もう僕だってどうしたらいいか分からないし、つまりは苦手だ。一人っ子の僕も決して誰かと一緒に遊ぶよりも、一人で積み木やレゴで遊んでいたほうが楽しい……。
「これ最近買ったんだ。てかお母さんが勝手に買って来たんだ。これで遊ぶ?」と僕は気を遣って新商品を開封した。気を遣うなんて大人の世界でやってほしいまったく。
僕が箱から出したのは、アルファベットの形の木でできたブロックみたいなやつで、小学生から英語の授業がはじまるから、きょーいくねっしんなお母さんは、近所のともくんのお母さんに勧められるまま買ったらしい。
僕はまったく気に入らなかったけど、これを出して少しは遊ばないとお母さんが怒るので、たまーにだして「えーびーしー」と言いながらよく分からない世界観の遊びをしている。
「あれ、Aくんきょうはずいぶん頭がとんがってるね」
「何言ってるんだよBくん、僕は昔から頭がとんがっているよ」
「「はっはっはっ」」
すべての住人が仮名の死にたいくらい下らないアルファベットの世界だ。
でも、そのアルファベットの世界では今、一人の女神が絶望的につまらない世界をそっと壊そうとしている……ように見えた。
並べたアルファベットのブロックを興味深そうに一つずつ持ち、手でその形を確かめまた置くという、なんでも鑑定団ばりの丁寧さでもってその作業を行っていた。
Aくんから順番に行われるその作業を僕は無言で見ていた。Zくんまでいったらどうするのかな? なんて思いながらも、ほんの少し楽しそうなマユちゃんをはじめて見た。
そして、運命のQくんに行きついたマユちゃんは、今までのルーティンから見事にはずれ、心待ちにしているRくんはマユちゃんの手に握られることはなかった。残念、Rくん。そして、手の中に生まれたての小鳥でもいるがごとく、その包まれたQくんを少し握っては、体温を感じ、また見るという行為を繰り返した。
「Qがすきなの?」と聞く僕に、
「きゅーっていうの? かわいい かたちが」と綾波レイ並みに小声で言った。
「Oとそんなに変わらなくない? ほら」とOくんを渡したが、
「くるんがないから だめ」とQくんとOくんの彼女なりの決定的な違いについて説明してくれた。
楽しそうに遊んでいると思っているお母さんとおばさんが来て、そろそろ帰るよとマユちゃんにおばさんは伝えた。やっとQくんは開放かと思いアルファベットのお友達25人を先に家に入れた。しかし、マユちゃんはQくんを握ったまま返してはくれなかった。
おばさんが説得するも、さらに強く握られるQくん。いいかげんにしなさいと怒るおばさんに、さらにさらに強く握られるQくん。
僕はもうすでに25人ものアルファベットの仲間がいるから一人ぐらい旅に出してもいいと思った。さよならQくん、マユちゃん家で元気でくらしなね。
おばさんは、次に来るときに必ず持ってこさせるからと何度もごめんねと僕に言い、僕はどっちでもいいやそれより、Qくん一人じゃ寂しいんじゃないかと思い、仲のいいSくんとかも連れていく? と聞こうとしたが、話がややこしくなりそうと子供の僕でも分かったので黙っておいた。
さよなら、Qくん。また逢う日まで。
5月20日は「ローマ字の日」